グローバル化での負け組産業に鬱積した不満
言うまでもなく、新興国経済が得意だったのは、モノの生産のうち、先進国に比べ付加価値率の低い分野だった。
日本も、戦後すぐは廉価な玩具とか衣料などを輸出するところから始まった。1990年代以降のグローバル化の下で、新興国の得意な分野が経済発展に伴って次第に拡がり、2020年代の今、先進国は多くの製造業の分野でその競争力を失っている。この点は日本も例外ではない。
そうした経済環境の変化の中で、グローバル化の下で負け組となった先進国の産業では、当然、経済活動が縮小するが、その変化が早過ぎると、なかなかその過程はスムーズに進まない。特に負け組産業が集積している地域においては、コミュニティー全体が沈滞することになり、そこから容易には脱出できない多くの人々にとって不満は鬱積する。
トランプ政権が進めているような全方位で貿易不均衡を是正するという考え方に経済合理性が欠けていることは否定できない。しかし、米国内では目の前にあるコミュニティーの沈滞が問題の本源にあるのであり、それを解決していく上で、ビジネスを通じた儲けの最大化に繋がる経済合理性が説得力を持つのはなかなか難しい気がする。

現在の政権の諸政策がその問題の本源を解決するのに最適なのかどうか。トランプ政権誕生100日が過ぎ、次第に冷静に議論されるようになるだろう。
しかし、「トランプ2」の初期において、これまでと同じことをしていたのでは駄目だという米国民の思いの方が強かったであろうことに、友好国であるなら理解を示すべきだと思えてならない。特に日本は、これまでのグローバル化の下で類似の苦労を強いられてきたのだから。
他方で、日本にとっての自由貿易の重要性は、決して米国と同等とは言えない。