御三卿の公務は?

 御三卿は、参勤交代も領知の政務もなく、儀式の参加が主な仕事といえた。

 毎月1日、15日、28日に行なわれる月次の儀式や、年始、五節句、八朔などの定例の祝儀や、臨時で行なわれる儀式などで、頻繁に登城している。

 8日と24日の「御定日」という登城日には、将軍や大御所の御機嫌伺いをした。

 それ以外の日は、他の御三卿を訪問したり、訪問を受けたりするか、下屋敷で遊んだという(以上、茨城県立歴史館『一橋徳川家の名品』所収 辻達也「一橋家の歴史」)。

 また公務ではないが、将軍家および、御三家を含む大名家へ、養子を輩出する機能を果たした 。

御三卿特有の「明屋形(あきやかた)」とは?

 通常、大名家では当主を欠くと、家は廃絶となるが、御三卿は当主不在でも家名が存続する「明屋形」となることもあった。

 また、幕臣が出向した「付人(つけびと)」が家臣団の中に存在したことも、御三卿の特徴に挙げられる。