今も読み継がれる古典の価値とは

 仏教における最大の苦しみの根源は、無明、即ち、真理を知らないがゆえの迷いだとされています。三慧は、無明を断ち切り、悟りを開いて、苦しみを超えた涅槃の境地に至るための智慧を育てる道なのです。ですから、私が設定した「善く生きる」という教養の目的は、「悟りに至る」という三慧が目指すものと、結局は同じだったということになります。

 人類の知には、自然科学のように時間の経過とともに日々進化するものもあれば、人間の実在や精神性に対する問いのように、千年、二千年前の哲学や思想が今を生きる私たちにそのまま通じるようなものもあります。

 私は、1800年ほど前に書かれた古代ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』を愛読していますが、そこに書かれている悩みや教訓は、今日を生きる私たちのものと何ら変わるところがありません。私はこの本を通じて今でも毎日、アウレリウスと対話をしています。これこそが古典の価値であり、古典が今でも読み継がれている理由なのです。

(文中敬称略)