最終的には被害者側が泣き寝入りするしかないのか

 事故からまもなく1年5か月、4月24日には札幌地裁で車を運転していた若本被告に判決が言い渡されます。今となってはもう遅いのかもしれませんが、私は、自身の発言に責任を持たない被告らの態度に強い怒りを感じています。

 たとえば、若本被告は刑事裁判の法廷で、泣きながら、

「反省しています」

「賠償のためなら何でもします」

「被害者に泣き寝入りさせません」

 そう述べました。

 尋問において我々被害者側から、

「到底賠償しきれる金額ではないので、運転者、所有者ともに協力して、賠償の計画を示してほしい。約束できますか?」

 そうたずねたときは、

「はい、できます」

 と回答しました。

 こうした言葉は、裁判官にとっても、被告が反省の気持ちを持ち、賠償についても最大限の努力をしていくという意思表示としてとらえられたのではないかと思います。

 しかし、現実はどうでしょうか。後でわかったのですが、そもそも若本被告は、賠償の件で所有者の田中被告に連絡すら取っていませんでした。また、当時の妻(現在は離婚)や親族の協力も得ながら賠償するという気持ちはまったくないようで、あくまでも自分一人で賠償していくつもりだというのです。

 アルバイト暮らしで、いったいどうやって多額の費用を支払っていくつもりなのか。年齢的に考えても、50歳を過ぎた被告が、現在5歳の娘の今後をどこまで支えることができるというのか。誰が考えても、最終的に被害者が泣き寝入りを強いられることは目に見えています。

 公判で見せた好印象の発言とは、まったく矛盾している現実を、裁判官はわかっているでしょうか。口先だけの反省や謝罪がまかり通らないことを強く願うばかりです。