小説の執筆に12年もの歳月がかかったのはなぜか?

柚月:今回の作品の構想は、実は震災が起こった直後からありました。

 東日本大震災が起こって1年ほど経った頃に、新潮社の編集者の方と「震災をベースにした物語を書こう」と相談し、書き始めました。これが、2012年頃のことです。

 けれども、執筆をした日の夜は必ずと言っていいほど、地震や津波にかかわる夢を見ました。自分で思っている以上に、私の中で震災に関するさまざまな葛藤があったのでしょう。

──連載開始までの間、柚月さんの中で葛藤はどのように変化していったのですか。

柚月:すごく長いように感じられる一方で、短くも感じられる期間でした。

 自分の中に、「震災直前で止まっている時間」と「震災から物理的に過ぎ去った時間」の2つの時間軸が存在しているかのようでした。この2つの時間のずれは、長い間、埋まることはありませんでした。

 今でも、朝起きて「実家に電話しよう」とふと思うことがあります。そのたびに「実家は津波で流されてもうない」という事実を突きつけられて悲しくなる。そんなことがたくさんありました。

 震災から8年が経った2019年、仕事で岩手県釜石市に行く機会がありました。そこで、振り袖姿の女性やスーツ姿の男性が、談笑している姿を目にしました。その日は、成人の日だったのです。

 震災のときに12歳の子どもだった彼らの中には、大事な人を失った人もいるかもしれない。一緒に成人式を迎えるはずだった友達もいたかもしれない。辛い思いをしているかもしれませんが、立派に成長して、今、笑っている。

 その姿を見たとき、私もちょっとずつでも前進しなければ、と強く感じました。そのときに、ずれていた2つの時間軸の歯車が少しですが嚙み合いました。

 それから改めてプロットを考えて、編集者さんと何度も何度も話し合い、連載に漕ぎつけることができました。