青春の隈研吾、いまいずこ・・・

 かつて私は「建築の立たない建築家」だった頃の隈研吾氏の思想に、強く惹かれていました。

新・建築入門――思想と歴史」(1994)という「ちくま新書」の好著があります。

 このなかには、洞穴に籠る動物や人間の「母胎回帰」「子宮的」的な思考と、平地に大黒柱を立て、そこに家屋を建てるという「男根的」な建築との対照が記されていました。

 この面白い対比と、柄谷行人の「隠喩としての建築」の議論を合わせて、1996年の秋でしたが、フロリダのアーチスト・レジデンシーで磯崎新氏と長時間、ディスカッションした思い出があります。

 いまだ「建築がたたなかった頃」の隈さんは、明らかに輝いており、磯崎さんも、いまだ素浪人のごとき、独立事務所を営む30~40代初めの彼の思索を評価していました。

 それが世紀の入れ替わりあたりからでしょうか、「建物のたたない建築家」だった「隈研吾」が「くまちゃんシール」などと揶揄される、ポピュラーな存在に替わっていった。

 隈研吾さんは、50代半ばから60歳を過ぎるあたりで早くから才能を嘱望されながら、現実には大変に遅咲きの建築家でもあった。

 さてしかし、翻って「世界的」などと言われるようになった後の隈氏の現状はどうでしょう。「青春の隈研吾」が持っていた才能の輝きは、どこに行ってしまったのか。

 今回は「隈研吾建築は木造ではない」という議論は展開できませんでした。万博の話題にも直結しますので、これについては別稿を準備したいと思います。