藝大入学後に遭遇する苦悩
その入試倍率の高さから、藝大には天才的な人間だけが行くところだという錯覚は、受験生でさえ持ってしまいがちなことである。しかしこれは幻想だ。一見才能溢れる人物も、一皮剥けば生身の人間なのだということが、この作品では繰り返し描かれる。
本作では6巻まで藝大入試が描かれるが、その後はあらゆる油画科の学生が直面する葛藤が描かれている(現在16巻まで出版)。つまるところ入試は序章に過ぎない、ということである。
そう、芸術家にとって美大進学はゴールどころか、スタートですらないのである。
本作に登場する若者たちは、大学に入ってからもそれぞれの立場で葛藤し続ける。真剣に美大生をやっていれば遭遇するであろうあらゆる苦悩について、リアルに描かれている。作者自身が藝大卒であることから、膨大な取材に拠るリアリティーが作品に鋭さを与えているのだ。それでいて現実のエグさは抑えめに表現されているので、誰にでも抵抗なく読める漫画に仕上がっている。この辺のバランス感覚が非常に優れた作品である。
本作で特に魅力的なのは、高橋世田介(よたすけ)というキャラクターである。美大予備校の指導に見切りをつけ、独学で藝大合格を果たす孤高の天才少年だ。口癖のように「表面ばかりで本質を理解しようとしない」と他者を批判し、友達を作らない。しかも「絵を描くのが好きか」と問われた時には「好きだったことは一度もない」と宣うとんだ捻くれ者である。
しかし実のところ彼は自分のために絵を描いているのではなく、自分を支配する母親の期待に応え続けて、ここまで来てしまった人物なのだ。
世田介の母はいわゆる過干渉の毒親である。「他に何の取り柄がなくても、あの子には絵の才能があるから!」という歪んだ善意で世田介を追い詰め、縛り続ける。この呪いによって世田介は他人からの「干渉」を毛嫌いするようになる。予備校の指導も、大学の指導も、友人からの言葉も、彼にとっては干渉になってしまうのだ。そして唯一社会と繋がるツールとして、言葉よりも深い解釈を伴う絵を選んだのである。
作中では八虎が不意に口にした感想によって、世田介が救われるシーンがある。これは「なぜ人は絵を描くのか」という問いへの解答の一つになるだろう。
「ブルーピリオド」とは、若き日のピカソが、青い絵ばかりを描いていた時期の通称「青の時代」を指す言葉である。親友カサヘマスの自殺に衝撃を受け、憂鬱な絵ばかりを描いていた時代のことだ。ピカソのみならず、若い芸術家はことごとく悩むものなのである。自分は誰なのか、自分の仕事の価値とは何か、どうやって社会と繋がるのか。その葛藤の果てとあわいで、もがき苦しみながら作品が生まれるのである。
一度でも「本当の自分」を探したくなったことがある人なら、本作は大きな感動を与えてくれるだろう。また本作はアートのガイドブックとしても、非常に優れた読み物になっている。是非ご一読いただきたい。
(編集協力:春燈社 小西眞由美)