銃撃戦よる死傷者も出る紛争へ
かつてクメール王国は、ダンレック山脈を越えて東北タイまで領土を広げていた。しかし、15世紀にアンコール朝が滅亡すると、その峰々はタイの支配下に置かれる。世界遺産は、所有する国による「自薦」に基づいている。ユネスコによる登録は、そこがカンボジア領だと認めることにもなるのだ。タイがこれに猛反発した。
2008年の登録直後に、両国が数千人規模の軍隊を派遣し、寺院の周辺でにらみ合う。時に銃撃戦があり死傷者も出た。地雷をふんだタイ兵士が片足を失う事件も起きる。2年後には、武力衝突は他の国境地帯にまで飛び火したのだ。「平和の砦」を築こうとする世界遺産の理念からすれば、本末転倒も甚だしい状況に陥ってしまった。
研究者は、2つの原因を指摘している。先ずは「タイ・カンボジア両国が、異なる国境線が引かれた地図を使っていること」。タイはアメリカの地図を使い、カンボジアはフランス地図によるが、それぞれがプレアヴィヒア寺院は自国領だ。ややこしいのは山脈の分水嶺に従って国境線を引いたこと。2つの地図にズレが生じて、4.6km2もの未確定地域がある。
19世紀にヨーロッパの帝国主義にさらされるまで、タイやカンボジアは国境意識が乏しかった。各地の支配者に“朝貢”を求める、間接支配を行ってきたのだ。もう一点は、植民地化により領土を失うことで、国境を守る意義を先鋭化させていったという。

2013年、ハーグ国際司法裁判所で、寺院はカンボジア領であることが確定した。これにより紛争は沈静化、周辺に埋められた地雷もすべて撤去された。カンボジア側からの観光は始まっている。しかし、タイ側のゲートは封鎖され閉じたまま。2023年にタイの県知事が観光客のアクセスを求めているが、いまだ実現していない。
そもそも一直線の参拝ルートは、タイ側からを想定している。高低差120mの石畳を登っていき、天国にもっとも近い峰の上で神に祈る。崖上から見渡すと、カンボジア平原の空の下にあるのが壮麗な都・アンコールだ。この自然と一体化したプレアヴィヒア寺院を、人為的な分断線で閉ざしてはならない。
領土というナショナリズムを、大人しく眠らせる手立てはないものだろうか?
(編集協力:春燈社 小西眞由美)