天空の遺跡とも呼ばれるプレアヴィヒア寺院 写真/フォトライブラリー

(髙城 千昭:TBS『世界遺産』元ディレクター・プロデューサー)

世界遺産登録がタイと国境紛争を引き起こす

 東南アジアに13世紀、推定80万もの人口を擁する都をもつ巨大な王国があった。中世ヨーロッパ最大の街・パリが、まだ人口10万に満たない頃のことだ。その版図はメコン川の流域を中心に、現在のベトナム南部からラオス、タイにまで及び、ほぼインドシナ半島全域を網羅していた。それがカンボジアの母体になったクメール王国であり、王都だったのが世界遺産「アンコール」である。歴代の王たちが、9世紀から600年にわたり即位の度に新たな“都城”や“寺院”を造営したため、600以上の石造りの遺跡が残されている。

 なかでもクメール建築の最高傑作といわれるのがアンコール・ワットだ。アンコールは「都市」、ワットとは「寺院」を意味する。砂岩のブロックを30年かけて積み上げ、ヒンドゥー教の宇宙観を表した。

 このアンコールから北東へ約140km。カンボジア平原を断ち切るかのごとく、突如現れる絶壁の連なりがダンレック山脈である。その一角に、平原から見上げると円錐状のピラミッドを想わせる山(標高625m)……その頂点に建造されたのが世界遺産「プレアヴィヒア寺院」(登録2008年、文化遺産)だ。アンコール以前からの聖地であり、有力な拠点の一つだった。

 突き出した岬にも似て、三方は断崖。最奥にある第一楼閣は、東南の角がなんと崖からはみ出していた。山の地形を活かして、北から南へ高度を上げながら一直線につづく800mの参道は、まるで天国への架け橋のようだ。俗世と天上界をつなぐ入口には、7つの頭を持つ大蛇ナーガ像が横たわる。参道に沿って4段の人工テラスが設えられ、第五楼閣から第一楼閣へ真っすぐ徐々に高まっていく。

 楼閣にほどこされた精巧なレリーフが、夢見心地にさせながら神の園へ。“列柱の参道”には、両脇にシヴァ神の象徴であるリンガ(男根)の石柱が立ち並ぶ。今でこそ第一楼閣の中央祠堂はくずれ廃墟と化しているが、元は山に降臨したシヴァ神をそこに祀った。

 こうした聖山の麓に人々が住みこみ、長い参道を昇って山のお堂で季節ごとの祭りを行う。真一文字の伽藍は、クメールの古い形式の寺院なのだ。やがて都が平原に遷ると、人工的な山(堂塔)を神の住み家に見立てた、アンコール・ワットで集大成されるピラミッド型祠堂へと発展を遂げていった。

 クメール寺院の成り立ちを解き明かす、紛れもない“傑作”として評価され世界遺産になったプレアヴィヒア寺院だが、登録をめぐってタイとの国境紛争を引き起こす最悪の事態を招いた。なぜなら500mもの断崖の上に建つ寺院は、まさに国境線の上にあるのだ。