ヤクザの親分と鉄砲玉
「SNS選挙不正」に関わった人たちの「罪と罰」
いきなりですが、いまヤクザを裁く法廷があったとしましょう。
いろいろ因果があって、やむにやまれず鉄砲玉として犯行行為に及んだチンピラ暴力団員と、その「実行犯」に命じてタマトリを計画、指揮命令した「共同共謀正犯」の暴力団組長。
一体どちらが刑事責任が重いでしょうか?
21世紀の法律は、実行行為者以上に計画犯、主犯の責任を重く問います。團藤刑法の一つの成果が、こうした量刑相場になって表れていると言ってよいと思います。
原始的な「お裁き」であれば、実行犯は行為が明瞭だけれども、計画犯、命令者の指示は立証が難しいなどとして、かつては不問に付されるケースもあったはずです。
昭和のヤクザは黙って鉄砲玉が長い懲役に行き、親分の身を守った。それがヤクザの美徳とされていた・・・とんでもない話です。
いま斎藤兵庫県知事とPR会社「メルチュ」の女性社長が問われているのも、この「暴力団組長」と似たような話と思えば、実にしっくりくるかと思います。
つまり「主体性をもって」=「犯意をもって」選挙運動を構想、立案、計画し、それに対して対価を与える=受けるという金員財貨のやり取りがあったのであれば、それはまさに「買収」によって「選挙運動」を行わせたこと以外の何物でもありません。
また、仮に「そんなつもりはなかった」とか言ったとしても、不特定多数に対して音声動画コンテンツなどを2次的にばらまいた人たちも、明らかに公選法の数量規制を破る行動を意図的に行っていることから、何らかの責任訴求は本来免れないと思います。
2024年11月に兵庫県で起きてしまった選挙違反は、1933年3月にドイツで、ヨーゼフ・ゲッペルス以下の選挙運動員がメディアを濫用したファシズム選挙「そのもの」と本質において「同一」と断じる必要があります。
それは「量的規制を無視し、やみくもに新メディアを投入、リテラシーの低い大衆をマインドコントロール操作して、大量得票を人為的に得させた」という本質において、ナチスやオウム真理教と同じことをしているから、そのように断定します。
まさしく民主主義にとっての脅威というべきものです。
團藤先生がお元気であれば、明快な法理で一刀両断、脳天唐竹割りにしていたこと間違いありません。
現状一点の救いは、総務大臣を村上誠一郎という極めて例外的にまともな了見の政治家が務めていることでしょう。
ファッショの横行「そのもの」と指摘すべき斎藤元彦選対の「メディア公選法違反」、厳密な再発防止に直結すべく、厳しく処断される必要があります。