謝罪の部分はこうである。
「松本において、かつて女性らが参加する会合に出席しておりました。 参加された女性の中で不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます。 尚、相手方との間において、金銭の授受は一切ありませんし、それ以外の方々との間においても同様です。 この間の一連の出来事により、長年支えていただいたファンの皆様、関係者の皆様、多くの後輩芸人の皆さんに多大なご迷惑、ご心配をおかけしたことをお詫びいたします。 どうか今後とも応援して下さいますよう、よろしくお願いいたします」
「不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば、率直にお詫び申し上げます」と、まるで政治家みたいな言い訳をしている。
すなわち、いんちき謝罪であり、醜い謝罪である。すこしも「率直」ではない。自分がしたことへの反省も、まったくない。
そんなことよりも、「どうか今後とも応援して下さいますよう、よろしくお願いいたします」という根性が見苦しい。
松本は今年の3月にも、「世間に真実が伝わり、一日も早く、お笑いがしたいです」と、どのツラ下げて、というようなのんきなコメントを出していたが、いまさらだれがあの松本の顔を見て笑えるか。
厚顔無恥、鈍感な男である。プーチンの次に、見たくない顔である。
気持ちのいい謝罪があった
11月、最後に気持ちのいい謝罪の記事があった。
9月1日、熊本市東区にある戸島神社で、神社総代会のメンバーたちが賽銭の回収に訪れた際、手紙と現金10万円が入った封筒を見つけた。
手紙にはこう書かれていた。
「30年以上になります。小さいころ家がまずしくてさいせんから、ぬすみました。本当にすいません。しっかりがんばってそれ以上のお金をお返しいたします。ずーっと考えてまして、今日、これて本当によかったです」
神社総代会の桂良三さん(74)は「昔のことを反省して立ち直る姿を想像し、温かい気持ちになった」と語った(「「まずしくてさいせんから、ぬすみました」 30年前の〝犯行〟告白…さい銭箱に謝罪の手紙と10万円 熊本市・戸島神社」、2024年11月20日、熊本日日新聞)
間然するところのない謝罪と償いである。
これが原状(以上の?)回復である。これこそが美しい謝罪と償いのお手本である。
謝罪と償いが有効なのは、まさにこのような範囲までである。
人はそれ以上のことには、ほんとうは謝罪も償いもできないのだ。だから、取り返しのつかないことは、本来、してはならないのである。