「身内目線で言うと、中途半端なジュニアの寄せ集めが嵐だった」

平本:誰をどのグループに入れるか、そこに明確な理由はありません。SMAP、光GENJI、男闘呼組、忍者といった80-90年代に活躍したグループのメンバーを入れ替えて、再構成して別のグループができていたとしても、ぜんぜんおかしくなかった。

 TOKIOの国分太一がよく言っていますよね。「SMAPに入っていてもおかしくなかった」「今でも入りたい」と。どのグループに入るかで、その後の自分の運命も印象も変わる。僕たちは「グループガチャだね」なんて言っています。

 滝沢秀明だって嵐に入っていてもおかしくなかった。

──たしかに年齢的には同じくらいですね。

平本:あの辺は「滝沢一派」というか、滝沢を筆頭にしたピラミッド構成になっていました。身内目線で言うと、中途半端なジュニアの寄せ集めが嵐でしたよ。

 後に嵐があんなに売れるなんて、本人たちでさえ想像していなかったと思う。「大野がリーダー、なんで?」みたいな、当時は本当にそんな印象でしたよ。

──デビューまでいったのは、相当選りすぐられてのことではないのですか?

平本:選りすぐられたというより、彼らが気に入られるための努力をしてきたということです。とはいえ、どの程度のことをしたのかはそれぞれ個人差があるでしょうね。

 たとえば、フォーリーブスを例にとると、メンバーは全員ジャニーの被害にあっていたけれど、圧倒的に北公次に被害が集中していた。ジャニーと北公次はほぼ同棲のような生活をしていましたからね。北公次には「他のメンバーを守りたい」という意識もあった。

 光GENJI、SMAP、KAT-TUN、Kis-My-Ft2、Hey! Say! JUMPなど、後々の世代のグループやタレントにも、おそらく同じような環境や出来事はあった。それは想像に難しくはない。

 事務所には膨大な数のジュニアがいましたからね。「ジャニーもよくやってんなぁ」と当時は思いましたよ。自分たちは中の状況を知っていますから。

(図表:共同通信社)