名前を知っているのは関係者だけ

1945年4月16日、鹿児島県の鹿屋海軍航空隊より250キロ爆弾を懸吊して出撃する零戦二一型 写真/月刊丸/アフロ

 同じ年に海軍が制式化した航空機には「零式水上偵察機」や「零式水上観測機」があるが、これらも「零式水偵」「零式水観」と略しており、「ゼロ式水偵」とは呼ばない。ちなみに、同年に陸軍が制式化した機体には、「百式司令部偵察機(百式司偵)」「百式重爆撃機(百式重爆)」などがある。

  「ゼロ戦」という俗称が広まったのは戦後になってからだが、その背景として、戦時中の日本国民は「零式戦闘機(零戦)」の名前を知らなかった、という事情がある。日中戦争が激化する頃から、軍部は一般国民に兵器の名称を秘匿するようになっていたのだ。

 だから、戦時中の報道写真やフィルムに「零戦」が写っていても、キャプションやアナウンスでは「わが海鷲」とか「わが新型機」としか説明していない。「零式戦闘機(零戦)」という名前を知っているのは、軍や航空産業の関係者だけだったのだ。

 大きくて人目につきやすい海軍の艦艇でも、大正時代から国民に親しまれてきた「長門」や「陸奥」と違って、対米英開戦後に就役した「大和」や「武蔵」の名は、一般国民には知らされていなかった。

 さて、「零戦」にはいくつかのサブタイプがある。「二一型」「五二型」などで、これを「にじゅういちがた」「ごじゅうにがた」と読む人があるが間違いで、「に・いちがた」「ご・にがた」が正しい。なぜなら、2ケタ数字の最初の「二」や「五」は機体の変更を、後ろの「一」や「二」はエンジンの変更を示すからだ。

 ちなみに、靖国神社の遊就館に展示されている実機は「五二型」だ。実際に見学する機会があったら、「れいせん ご・にがた」と呼んであげよう。