ターニングポイントだった情報公開制度の成立
情報公開制度の成立で、住民運動がどう変化したかを教えてくれたのは、その制度を徹底して駆使した「ナギの会」代表の渡辺寛さんだ。
「当初の運動は、辰巳用水を守りたいという思いが前面にあった。しかし、ダム計画そのものにも問題があった。もっと調べるべきだと思って僕らは色々調べていった」という。
たとえば、県の資料を読むと旧河川法ではダム計画を「工事実施基本計画」に位置づけることになっていた。それがダム建設の根拠だと思って、資料を求めても県は公開しなかった」と渡辺さん。
その状況が変わったのが、国の情報公開法に先駆けて成立した1991年の金沢市情報公開条例や1994年の石川県情報公開条例の成立だった。
60ページにおよぶ「辰巳ダム治水計画説明書」を県に公開させた時には、ダム計画の根拠となっていた洪水の想定流量が、技術的な根拠なく過大に計算されていることを見つけた。
「ねつ造だ!と批判したんです」(渡辺さん)
また、一方で、「工事実施基本計画」を開示させると、そこにあるはずの辰巳ダムの記載がないことも発見、渡辺さんは「僕らは河川法違反じゃないか!と追及した」という。