- 日本ほど、熊と人が密集した土地で共に暮らしているという場所は世界中見渡しても他にない。
- とりわけ密集度が高い秋田県で人的被害が少なかったのは、マタギという特有の文化の影響と考えられる。
- 山間部や中山間地の営みが消えつつある今、自然環境と人間はどのようにバランスを取っていきていけばいいのだろうか。
(船橋陽馬:写真家・マタギ)
※前編「現役のマタギが直言!なぜ2023年は熊による事件が相次いだのか?」から読む
現状、日本の国土の19%が人工林でスギやヒノキが植えられている。この面積は東北地方全体よりも広いエリアだ。
戦後から始まった高度経済成長期において、国策として進められた開墾、スギやヒノキなど針葉樹の造林など、人々が生きるためにその時代時代において需要や必要性があったことは理解できる。しかし、熊をはじめとした野生鳥獣にとって、人間が手を加え変えてしまった森は餌場のない過酷な環境である。
それから50年以上経過した今、結果として、野生鳥獣だけではなく人間にとっても生きづらい環境を作ってしまった。
国は、そのスギやヒノキを花粉の出ない品種に置き換えようとしている。花粉症という健康被害を防ぐ意味では良いのだろうが、そもそも自然環境を改善しようとする意味では、なんの意味もない。
自然環境と人間が互いにバランスを取り合いながら生きていくことは、当然一筋縄ではいかない。しかし、土地の文化は、その土地の人々が気候風土に懸命に適応することで、生まれ育まれ今日に残っている。外部からの力が加わるとそれが一気に崩壊しかねない。
だから、私はある程度、その土地の人々へ土地の管理を任せたら良いのだと思う。自分たちの暮らす場所を守ろうとすることはごく自然のことであり、それに対し外部の人たちは土地の意見を尊重し協力する。そんな体制にしない限り土地を守っていくことは難しい。
ましてや熊問題に関しては、日々、熊の存在と隣り合わせでいる我々とそうでない人々とでは考え方の根本が違う。自分に当てはめてほしい。最寄り駅まで歩く途中、熊と遭遇するかもしれないという状況の中、安心して日々を過ごすことは果たしてできるのかどうか。