人口減や地域経済の衰退によって仏教が曲がり角に立たされている。檀家制度は崩壊の危機に瀕し、寺院の消滅や「墓じまい」の流れが止まらない。1500年の歴史を有する日本の仏教はどこへ向かうのか。僧侶でジャーナリストの鵜飼秀徳氏が仏教界に待ち構える未来を考える。5回目は、葬儀や法事で用意する「お布施」について。
(*)本稿は『仏教の未来年表』(鵜飼秀徳著、PHP新書)の一部を抜粋・再編集したものです。
布施はサービスの「対価」ではない
人々の「お布施」にたいするコスト意識が高まっている。
葬儀や法事の際に発生するお布施の相場感は、かつては地域社会(ムラ)や親族間(イエ)による「暗黙知」で決まっていた。
だが、「個の社会化」が進むと同時に、さまざまなネット情報が氾濫。寺に対して「相場がよく分からない」「布施金額を教えてほしい」などと困惑の声を上げる人は少なくない。なかには布施をめぐって菩提寺とトラブルが生じるケースも起きている。
お布施のあり方が過渡期にある。そこで私が参加する仏教セミナー「Zoom安居(あんご)」では、「お布施」に関する意識調査を実施した。アンケートは僧侶・一般人の両面で行った。お布施に特化した意識調査は、過去にあまり例がない。アンケートからは、僧侶側と一般人との意識の乖離がみられた。有効回答数は僧侶が203人、一般人が208人だった。
最初に、「お布施の金額を明示」することの是非についてのアンケート結果を紹介する。
結果をみる前に「布施とは何か」を説明したい。布施は仏道修行においてなされる無欲の施しをさす。金銭だけではなく、衣服や食事などを僧侶に施すことも含まれる。
一方で、僧侶は「施しを受ける」だけではなく、人々に「布施」をしなければならない。それは儀式を行い、仏法を説き、不安を取り除くということ。あくまでも布施は「対価」ではない。僧侶と人々による双方向の「喜捨(喜んで差し出す)」であることが大前提だ。
従って、「お布施の金額を明示することに賛成か」という設問自体が、仏教でいう布施の教えから逸脱している。繰り返すが、布施は「サービスの対価」ではないからだ。だが、今回はそれを承知の上で、現代日本の「葬送の慣習と実態」に添って質問を作成したことをお断りしておきたい。
前置きが長くなったが、さっそくアンケート結果をみてみよう。