しかし、最終的な社長の判断は部長の判断とは違う可能性がある。それは「判断材料」が違うからだ。部長は現場を見て判断するが、社長は会社をトータルで見て判断する。
そこには「目の前の課題」だけではない、例えば「将来の課題」も含まれていたりする。
監督の「判断材料」は社長に近くなる。「勝つカタチ」を見つけ出し、そこに向かって進むために、「目の前のバッター」は打てそうにない。コーチは「代打」を進言する。そのコーチの判断は「その時点」では正しいけど、監督は「将来を含め」トータルでも判断をしなければいけない。
──ここでは打てないかもしれないけれど、その打席があったおかげで次のバッターが楽に入れて打てるかもしれない。
あるいは、
──ここで打てなくても、この投手と対戦することは必ず、シーズン後半に生きる。
監督はそんなことを考えている。
三原さんの言う「鵜吞みにするな」とは、そういう違いを理解しろということだろう。この点について三原さんはかなりはっきりと言語化されていて、「評価が正しいからといってその意見を鵜吞みにすると、組織を運営する上ではマイナスになる」とまで書いていた。
結局、監督はチームを成長させるために、コーチを信じながら、違う判断材料で決断を下していく必要がある。それが出来ないと「勝つカタチ」を作ることができないのだ。
こうした経験を重ねて臨んだ侍ジャパンでは、実はほとんどのことを「監督」が決めていた。
コーチの意見を信頼、尊重する点については、しっかり議論をし、彼らの意見を聞くことで実現し、一方で実際の作戦「こうなったらこうしよう」という戦術はトータルで見た時、つまり「世界一」「アメリカを倒す」ということを考えた時に必要だと思うことを、自分で決めていたのだ。
これを「最終的に監督が決めたことが良かった」と捉えるべきではない。コーチと監督の関係として、判断基準が違うことを自覚しながらコーチの意見に全幅の信頼を置く。ここが肝だった。
(『監督の財産』収録「1 監督のカタチ」より。執筆は2024年4月)