江戸時代の住環境

 ここで、当時の住環境を考えてみよう。

 庶民の大多数は裏長屋住まいで、核家族だったが、六畳一間くらいに親子三人、あるいは四人で暮らしていた。だが、裏長屋に生まれた子供は、みな十一歳くらいで住み込みの奉公に出た。そのため、狭い長屋で親子で暮らす期間はごく短かった。

 しかし、逆から言うと、十一歳くらいまで、子供は一室で親と一緒に寝ていたのである。暗いので見えないものの、気配から、子供は夫婦の房事に感づいたであろう。つまり、裏長屋に育った子供は男も女も、早熟だった。

 武家屋敷や大きな商家でも本質的には同じだった。三世代同居が当たり前で、しかも多くの奉公人が住み込んでいた。

 当時の木造家屋は部屋と廊下の仕切りは障子、部屋と部屋の仕切りは襖(ふすま)である。室内の性行為の音や声は、隣室や廊下に聞こえたのである。

 つまり、武士も庶民も、音や声にはプライバシーがない環境に育っていた。そのため、割床にはまったく抵抗がなかったのだ。

 というより、割床では隣の寝床のよがり声に、よし自分も聞かせてやるぞと対抗意識を燃やすなど、お互いに刺激し合っていたのかもしれない。

 次の例で、割床の様子がわかろう。

 春本『天野浮橋』(柳川重信、天保元年)で、男ふたりが岡場所の女郎屋で、寝床を並べて、ことを始める——

 ひとりの方、上にのしかかり、すかりすかりと腰を使えば、またひとりも上になり、腰を使う。

男一「まだ、いかねえか」
男二「まだ、まだ」
男一「もう、いきそうだ」
女一「いやなことをお言いだの。黙っておしよ」

 ——という具合である。春本なので誇張と諧謔はあるにしても、見えさえしなければ、物音や声にまったく恥は感じていない。

 ほんの二百年前の日本人は、こんな感覚だったのである。

 (編集協力:春燈社 小西眞由美)