しかし、当時の検察の説明は、

「加害者の車は、事故を起こすまではまっすぐに走れていた、つまり『制御できていた』ので、危険運転には当たらない」

 というものでした。

 すでにこのとき、第1回公判は済み、2回目の期日が決まっていました。「危険運転致死罪」への訴因変更を求めるとすれば、一刻の猶予も許されない状況でした。

これが危険運転でなければいったい何が危険運転になるのか

 そんな中、多恵子さんはあきらめることなく、新たに危険運転に詳しい弁護士を捜して協力を求め、検察庁に危険運転での訴因変更を申し立てて裁判を中断させ、7万5000筆もの署名を集め、世論に訴えかけたのです。

訴因変更を求めて市民に署名協力を呼び掛けるチラシ(遺族提供)
拡大画像表示

 そして、事故発生から1年8カ月が経とうとする10月10日、その努力がついに実ったのです。

 被害者支援代理人として多恵子さんのサポートをおこなってきた高橋正人弁護士は、訴因変更が決まった10月10日付のブログ(危険運転致死罪へ訴因変更を請求 | 高橋正人法律事務所のブログ )にこう記しています。

『当初、捜査を担当した副検事さんは、加害車両は、事故を起こすまで正常に運転していたから「制御できていた」、だから制御困難な高速度ではなかったという理屈で遺族に説明し、過失運転致死罪で起訴してしまいました。どうして、時速160kmで一般道を走行して制御できるのか、理解困難な説明だと思います。

 そもそも、制御できなかったから事故を起こしたはずなのに、事故を起こすまで事故を起こしていないから事故の時も制御できていたという理屈が成り立つなら、危険運転致死傷罪は、エンジンをかけた瞬間に事故を起こさないかぎり成立しないことになってしまいます。否、過失運転致死罪すらも成立しないことになってしまいます。なぜなら、過失運転致死罪も不注意だったからこそ事故を起こしたのに、事故を起こすまで注意深く運転していたから事故の時も不注意ではなかった、ということになりかねないからです。このようなことを法が許しているとは到底、思えません』