大谷選手はメジャー史に金字塔を打ち立てた(写真:AP/アフロ)

(田中 充:尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授)

 米大リーグ、ドジャースの大谷翔平選手は、レギュラーシーズン最終戦となる敵地でのロッキーズ戦に「1番・DH」で先発出場し、4打数1安打1盗塁だった。今季の成績は159試合に出場して打率.310、54本塁打、130打点、59盗塁。惜しくも三冠王を逃したものの、本塁打と打点の打撃二冠はほぼ手中に収め、史上初の50本塁打、50盗塁の「50-50」というメジャー史に金字塔を打ち立てた。

 日本人では初となるトリプルスリー(3割、30本塁打、30盗塁)もマークした。記録ずくめでレギュラーシーズンを締めくくったが、今年は「先」がある。3年連続22度目の地区優勝を果たしたドジャースで、悲願のワールドシリーズ制覇なるか――。

 レギュラーシーズン最終戦も大谷のバットは好調だった。同点の8回に12試合連続安打となる右前打を放ち、59個目の盗塁も決めた。

 ファンに最後まで夢を見させたシーズンだった。最終戦を前にした直近10試合で6本塁打、27安打(打率.614)と驚異的なペースで本塁打を量産し、打率を押し上げた。

 打率トップで2年連続首位打者のルイス・アラエス選手(パドレス)とは最終戦前の時点で4厘差。アラエスが最終戦を欠場した場合、大谷選手が5打数4安打で.314(.31397)、4打数4安打で.314(.31446)などと予想されて盛り上がった。

 昨年9月に右肘を手術し、打者に専念したシーズンは、開幕直後に信頼してきたはずの元通訳が違法賭博の発覚で解雇される波乱の幕開けだった。

 苦境を乗り越え、チームをレギュラーシーズンの地区優勝へと導いた大谷選手が残した数字の意義を改めて検証したい。

 日本選手が本格的に海を渡るようになったのは、1995年にドジャースへ移籍した野茂英雄氏がパイオニア的な存在だった。野茂氏が操る落差の大きなフォークは、当時のメジャーでは馴染みが薄く、いきなり13勝(6敗)で新人王をマーク。その後も日本人投手の活躍が目立った。

大谷選手の活躍には妻・真美子さんの支えも(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 野手では、イチロー氏が2001年からメジャーでプレー。いきなり首位打者や盗塁王、守備のゴールドグラブ賞、さらにはリーグMVPなどのタイトルを総ナメにした。イチロー氏の印象も強く、日本人野手は単打に代表されるミート力と小技、スピードを兼ね備え、守備も堅実という評価が定着していく。

 一方で、03年にヤンキースへ移籍した松井秀喜氏ですらシーズン最多が04年の31本塁打と、パワーという物差しではメジャーでの評価は高まらなかった。

「僕のホームランなんて、ファンは期待していないですよ」

 巨人時代の最後にシーズン50本塁打を放ち、多くのファンが松井氏の本塁打をメジャーでも期待したのとは対象的に、松井氏がヤンキースタジアムで筆者の取材に返したコメントは今でも印象に残る。