ラビの自宅で在イスラエル日本大使をもてなす
グルマハ氏がイスラエルに一時帰国した際に、エデリー氏の旧知の水嶋在イスラエル日本大使を彼の邸宅に招き、お茶を振る舞うことを決めた。
小泉先生が茶の湯の精神について説明するのを熱心に聞いた後、ラビたちは聖書を開いて参考になる個所はないかを探し始めた。少し経って、ユダヤ教の安息日におけるしきたりのうち、いくつか茶の湯にも応用できそうな風習を取り入れることにした、という。
安息日は喜捨箱にお金を入れるところから始まる。これは、自分の感謝を具体的に示す行動であり、「ラビ茶」プロジェクトでも、参加者がコインを喜捨箱に入れるところから茶会を始めることとした。また、ユダヤ教で器をふくときにヘブライ語で清浄・純粋を意味する「ナ・キ」の文字を書く習慣を参考に、本茶会でも同様の対応を行った。
風習の違いが独特な調和を生み出した瞬間もあった。新品の食器を使い始める際には、天然の水(雨、川、海など)で洗わなければならないというユダヤ教のしきたり(沐浴規定)があるため、ラビたちは小泉先生のもとで茶を習う前には、京都を流れる川に出向いて洗浄をしたという。2月のまだ底冷えする寒さの中、冷たい川で食器を素手で洗浄し客の来訪を待つというエピソードは、百人一首に登場する「君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ」という歌が思わず頭に浮かぶ。
指導を担当した小泉先生もまた、日本人の価値観とユダヤ教の価値観に共通点を見出したという。「一般的に、茶道では茶杓(ちゃしゃく、抹茶を掬う竹製の道具)についた抹茶を落とす時には、茶杓で器を強く叩かないことになっています。これは、高価な器を傷つけてはいけないという発想から来ていますが、ラビさん(※小泉先生はラビをこう呼ぶ)たちは何も言われなくても茶杓を自分の手に当てて落としていました。道具を大事にするという価値観が日本人ととてもよく似ています」と話した。
お茶菓子はイスラエルの国民的スナック菓子で
そうして月日が経ち、冒頭の場面に戻る。開始定刻になると、まず水嶋大使が入場し着席した。次に通訳のイスラエル人女性とラビが入場した。ラビから大使に対して本日の茶会に参加してもらったことへのお礼があり、おもむろにラビがコインを箱に入れ始めた。続いてラビに促された一同は、募金箱に小銭を入れていく。日本の茶会では絶対に見られない光景だが、日本のしきたりとユダヤ教のしきたりで外せない個所を残した結果だ。
次にお茶菓子が運ばれてきた。干菓子には、ひなあられに似たイスラエルのスナック菓子『バンバ』(イスラエルの子どもたちは皆バンバを食べて育つのだという)。そして主菓子は、現地の方が作られたカップケーキ。言わずもがな、どちらもコーシャ認証を受けた素材でできており、ユダヤ教徒も食べることができる。なお、気になるお味だが、バンバは素朴なイチゴ味、カップケーキは中東原産のデーツ(ナツメヤシ)入りで、どちらも抹茶にぴったりだという。
いよいよラビが抹茶に手を伸ばした。ユダヤ教では何かを始めるときに水で手を清める習慣がある。慣れた手付きで抹茶を器に移しお湯を加え、茶筅を前後に動かし始めた。不思議な静寂が場を支配する。水嶋大使もその見慣れない光景に思わず見入っている様子だった。日本式の茶の湯にユダヤ教のお祈りが加わる、まさにラビ茶の真骨頂ともいえるシーンだ。
茶道具にもこだわりがある。抹茶を入れる器(なつめ)には、本来ユダヤ教徒が安息日にワインを飲む銀色のコップを使用した。お香が入っているのはユダヤ教の蠟燭立て。元々の用途も意味も全く異なる道具が、茶会の雰囲気に独特な安定感をもたらしているのは、やはり、ユダヤ人たちの生活に根差した道具だからだろう。
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