審査を担うラビは青少年期を通じてユダヤ教の教典を学び、専門の試験を通過した宗教エリートだ。ラビという言葉もヘブライ語で「わが師」を意味し、ユダヤの範として教えを体現し続けることを誇りとしている。ユダヤ教3300年の歴史を背負う存在として絶対的な権威を持つ存在なのである。

 ラビたちは食品そのもののみならず、調理器具や食器にまで神経を尖らせる。日本人家庭の台所では、エビや豚肉の調理は一般的だが、厳格なユダヤ教徒は、その時点でシンクが「穢れている」とみなし、台所に近寄ろうともしない。

 視察中にこんなことが起きた。茶園の客間で出された緑茶にラビたちは決して手をつけようとしない。「まだコーシャ認証が取れていない」ということもあるが、理由はそれだけではない。湯飲みや急須の洗浄方法などを確認しなければ、せっかく出されたお茶であっても飲めないのである。ラビは失礼をわび、香りだけをかいでいたが、このような「徹底した厳格性」がコーシャの正統性を担保しているともいえる。

茶園で生産過程を確認するラビたちと筆者(右端)茶園で生産過程を確認するラビたちと筆者(右端)

 また、コーシャ認証は本来食品に付与されるが、一定の条件を満たすと道具に対しても付与できる。茶園視察に合わせて、茶筅(ちゃせん)と器の工房も訪れ、製作現場を見学することとなった。

 奈良県高山町は歴史的に茶筅の生産地として知られる。今回訪れた工房は、室町時代から続く伝統工芸職人のお宅で、材料となる竹の生産から自らの手で行っている。茶碗は、京都の京焼の工房を訪れた。ここでは、小泉先生の発案で、誰でも簡単に茶を点てられるようにデザインされた茶碗も作っている。こうして、抹茶、茶筅、茶碗の3点セットが認証を受け、世界初の「コーシャ茶の湯セット」が生まれたのだ。

 余談ながら、コーシャ認証を得た後も、道具の管理は徹底しなければならない。前述の通り、豚肉やエビなどユダヤ教の禁忌動物を扱ったシンクで取り扱うことは禁じられている。小泉先生宅でラビたちの茶碗を扱う際は、キッチン以外の水場で、しかも、この茶碗専用の新しいスポンジを使って洗うように徹底した。

今度はラビたちに茶を点ててもらう

 こうして初めて抹茶を飲むことができた2人のラビは、大変感動した様子だった。発案から半年近くかかってしまったが、ラビにお茶を味わってもらうことができて小泉先生も筆者も嬉しかった。そして、せっかくだからラビにもお茶を点ててもらおうと、裏千家の点前を小泉先生が説明した時のことである。ラビが「似ている……」と呟いた。

 話を聞いてみると、ユダヤ教では安息日(毎週金曜日の晩から土曜日の晩にかけて、一切の労働が禁じられる日)が始まる前に宗教道具を清める動作があるらしいのだが、それと目の前で繰り広げられるお点前が似ているというのだ。筆者は直感的に、これは面白いのではないかと思った。

 筆者が小泉先生から教わった茶の湯の精神とは、平和の精神、日本人が持つべき心、リーダーとしての心構え、そして、お客さんをもてなす心――といったものだ。一方でラビたちからは、ユダヤ教は人を大事にする宗教で、安息日には様々な人をもてなすことになっている、という説明を頻繁に聞いていた。

 日本の茶の湯文化とユダヤ教の精神、一見大きく違う文化だが、言っていることはそう違ってはいない。何より、京都の人もユダヤの人も、ともに長い歴史を持ち、伝統を大事にしてきた人々だ。お茶を通して、両者の間にシナジーが生まれるかもしれない。ラビたちにただ日本のお茶を飲んでもらうだけではなく、ユダヤ教のしきたりで抹茶を点てて、客人をもてなしてもらうのはどうだろう。

 こうして、ワビ茶ならぬ「ラビ茶」プロジェクトが始まった。

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