1938年夏には、張鼓峰(ハサン湖)で日本軍とソ連軍の戦闘が行われたが、1939年5月11日にはノモンハン事件(ハルハ河の戦闘)が起こった。ソ連の傀儡政権であるモンゴル人民共和国と日本の傀儡である満州国との国境紛争をきっかけとして、ソ連軍と日本軍が戦争状態に入った。
日中戦争に集中したい大本営は紛争を拡大しない方針を決めるが、現地の関東軍は攻撃を続けた。
ソ連軍は近代的な戦車や航空機を投入し、日本軍も戦車や戦闘機でこれに対抗したが、圧倒的な軍事力を誇るソ連軍に勝つことはできなかった。後に第二次世界大戦で活躍するゲオルギー・ジューコフが、ソ連軍の指揮を執り、戦車兵団や自動機械化部隊を駆使して日本軍を翻弄した。8月20日には、ソ連軍は総攻撃をかけ、関東軍に壊滅的な打撃を加えた。
ノモンハン事件は、日本軍に約2万人、ソ連・モンゴル軍に約2万人の死傷者を出した「戦争」だったのである。