ワンチャンスをモノにできた理由

 捕手として脂が乗ってきた5年目のシーズン。アマチュアの日本代表に選出される。「嬉しかったですね」と心からの笑顔を見せる。同世代の選手が多く、代表の試合や強化合宿に行くのが楽しみだった。

 同じ時期に、代表に招集された捕手がいる。JR九州の中野滋樹捕手(現・JR九州監督)。鈴木と同学年で、同じ東都リーグの東洋大学の出身。大学では控え捕手で、社会人に進んでからチームの正捕手となり、日本代表に呼ばれるまでに成長した。境遇が酷似していた。だからいろいろ話も出来た。鈴木は「中野と一緒にやるのが楽しかった」と言う。

 アマチュアとはいえスター選手が集まってくる日本代表で、高校時代まで控えだった選手が、堂々と中心選手としてプレーしている。もちろん、彼らには運があったのだろう。だだそれは、与えられたものではなく、勝ち取ったものだった。鈴木はしみじみと言う。

「ただ待ってたわけじゃないですから。どこでチャンスが巡ってくるかわからないので、準備だけはしておかないと。常に準備をしておいて、そこでの一投一打にかける。それがあったから、ワンチャンスをモノにできたんだと思います。そうやって考えたら、クサってる暇なんてないんですよ」

 レギュラーとして試合に出始めた25歳前後の時期、プロからの誘いもあった。

「マネージャーからちらっと聞いた程度で、直接、何か言われたことはなかったです。行ってみたかったなぁという気持ちもありますけどね。華やかな世界だし、ああいう場所でプレーしてみたかった」と隠さずに言う。

 ただ、自分から「行きたい」と言ったことは一度もなかった。「自分がそのレベルに達していれば、向こうから評価してもらえる」という考え方だった。監督からも、「本当に行きたいのであればプレーが変わってくるし、練習だって変わってくる。それくらいの気持ちでやらなかくてはダメなんだ」とよく言われていた。

「プロには行けなかったけど、その分、社会人で長くやれて、日本代表まで経験させてもらいましたから。世界の野球を経験できたことは、本当にプラスになっています。最近のアマ代表はアジア圏内の大会がほとんどだけど、僕らの時は、ワールドカップとかインターコンチネンタル大会とか、世界規模の大会にも出させてもらえていたんで。そこでメインでマスクを被らせてもらって、肌で感じることができました。キューバとやった時には、まだグリエル(現マーリンズ)がいたんですよ。どうやって抑えようかって考えて、あの経験は本当に財産です」

 2012年には、同期入社の澤村幸明とともに、社会人野球選手の勲章である都市対抗10年連続出場の表彰を受ける。それも、チームも10年以上連続出場を続けていたので、すべて自チームでの出場。補強選手を挟まず10年連続を達成できる選手はそんなにいない。鈴木が望んだ「強いチーム」だったからこその記録だった。