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中世風ファンタジー作品の見どころを歴史の専門家の目線から解説する、WEBメディア「シンクロナス」の人気連載「〝中世ヨーロッパ風〟ファンタジー世界を歴史学者と旅してみたら」。執筆者の仲田公輔氏(岡山大学文学部/大学院社会文化科学学域准教授)に、創作と歴史学の関係、歴史学が果たす役割等について、3回にわたり伺った。

仲田 公輔
岡山大学 文学部/大学院社会文化科学学域 准教授。セント・アンドルーズ大学 歴史学部博士課程修了。PhD (History). 専門は、ビザンツ帝国史、とくにビザンツ帝国とコーカサスの関係史。1987年、静岡県川根町(現島田市)生まれ。 >>著者詳細

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〝中世ヨーロッパ風〟ファンタジー世界を歴史学者と旅してみたら【『葬送のフリーレン』編】

なぜ、日本人が「西洋中世」を研究するのか

――今回は、専門分野について詳しくお聞きしたいと思いますが、そもそもなぜ研究者という仕事を選んだのでしょうか。

仲田:今振り返ると、結局は巡り合わせだとは感じています。歴史学を専攻しようと思って大学に進んだわけでもなく、研究者になる決意をした後も、アカデミアの世界から外に出て働こうと考えたことは何度もあります。

 そうした迷いを断ち切ったのが、20代後半での留学でした。博士号を取得するために渡英した際、海外の研究者たちと議論する中で、「自分の研究していることをわかってくれる人が海外にいるんだ」と話が通じたことがうれしくて、もう少し突き詰めたらもっと楽しくなるのではないかと思えるようになったのです。

 そこからは資金面の工面等、苦労したこともありましたが、「楽しそうだからやってみよう」という好奇心で突っ走ってきました。

――東ローマ帝国の中でも、コーカサス地域、特にアルメニアに注目されているのはなぜなのでしょうか。

仲田:幼少期の頃までさかのぼると、実は、ゲーム、漫画、アニメの他には、日本の歴史小説が大好きでよく読んでいました。にもかかわらず、世界史を選択した背景には、地方に生まれて、もっと違う世界、異文化に触れてみたいという気持ちがあったのかもしれません。

 東ローマ帝国、アルメニアについて研究しているのは、ニッチなところを選びたいというひねくれた気持ちがあったのも事実です。あとは、この分野はいろいろな言語を勉強する必要があったり、日本人には縁遠い地域ですので、研究するハードルが高く、敬遠されがちでもあるので、逆に新しいことにチャレンジできるのではないと思ったりもしました。

――たとえば、「日本」について研究している海外の学者から、私たち日本人も気づかないような新しい知見が提供されることがあるかと思いますが、日本人には縁遠い存在である「西洋中世」を、日本人の学者が研究する意義についてはいかがですか。

仲田:まず、ヨーロッパでは当たり前だと考えられている枠組みを、第三者的な視点から見ることができるのは1つのメリットだと思います。たとえば、私の研究分野である東ローマ帝国は、実は東方とのつながりも強く、イスラム世界とのつながりから捉え直すとまた違った実態が見えてきたりします。

 元来、「歴史学」という学問自体がいろいろな枠組みを問い直して「新しい歴史像」を提示していく役割を担っています。実際、これまでの歴史学がヨーロッパ中心で描かれてきたことを反省しているヨーロッパの学者も多く、「捉え直す」ことについては日本の研究者として価値を提供できると考えています。

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「信長」(日本史)から「チンギス・ハーン」(世界史)へ

――先ほどの幼少期のお話が出ましたが、小さいころはどんな「創作」に触れていたのでしょうか。

仲田:思い出したものからご紹介すると、父や母が持っていた小説や漫画、たとえば、歴史が題材になっている手塚治虫の漫画や少女漫画など、ジャンルに関係なく読んでいました。

 アニメではなく、漫画に触れる機会が多かったのは、単純にアニメがあまり映らない地域に住んでいたからです。近くに大きな本屋さんもなかったので、同じ世代の人たちが当たり前のようにアクセスしていた「創作」を知る機会は限定的でした。たとえば、同世代であれば多くの人が遊んでいたであろう『ドラゴンクエスト』シリーズはリアルタイムではプレイした記憶がありません。

 その反動もあって、大学進学と同時に東京に出てきてからは、漫画喫茶にこもって、片っ端から漫画を読破する日々を送ったこともあります。

――地元にいた頃、西洋史との接点はあったのでしょうか。

仲田:私が中学校に通っていた頃はちょうど、世界史全体が大きく削られたカリキュラムの時代だったこともあり、どちらかといえば、日本史のほうに興味がありました。創作についても、司馬遼太郎や藤沢周平といった歴史ものを読んでいましたし、ゲームでは『信長の野望』をプレイしていた記憶があります。

 世界史に興味を持ち始めたのは、高校生になってからで、高校の世界史の授業を受けて一気に視野が広がったのを覚えています。

 あとは、インターネットが一気に普及したのも高校生の頃で、私の住んでいる地域にもADSLが敷かれるようになってアクセスできる情報が一気に増えたことも大きかったですね。当時、『信長の野望』と同じコーエーさんの作品『チンギスハーン』にはまって、ゲームのファンサイトにファンの人たちが書き込んだ歴史上の人物の情報をワクワクしながら読んだりしていました。

歴史観は固定的なものではなく、変化する

――その後、大学進学を機に、歴史学を学び、さらには研究者の道を歩まれることになります。歴史学を学ぶ前と後で、「歴史」に対する向き合い方は変わりましたか。

仲田:創作を否定する気持ちは毛頭ないことを前提にお話しすると、大学で歴史を学ぶうちに、歴史小説やゲームを通して歴史を知ったつもりになっていたことに気づくことになりました。

 たとえば、「これが歴史だ」となると「権威」を持ってしまうことになり、普遍的なようにも感じられます。しかし、実際には「歴史観」は時代ごとに変化していきます。そのことを理解するには、これまでの「歴史」は誰が語っていたのか、どのような情勢の影響を受けていたか等、丁寧に確認していかなければなりません。

 フィクションであれ、歴史の概説書であれ、一度定着すると、ある種の「権威」となってしまうため、それらをチェックして、問い直す力が研究者には必要になると今は考えています。

――最後に、歴史学を学びたい人たちにメッセージをお願いします。

仲田:先ほど研究者に必要なのは「問い直す力」だとお伝えしましたが、それはそっくりそのまま学生にも求められるものです。問い直す力を持った人材が世の中のいろいろな場所で活躍することは大いに意義あることですので、「わかりやすいもの」を疑い、その背景を考え、再考する癖をつけていただければと思います。

(編集協力:池口祥司)