1938年4月27日、ルーズベルト大統領と昼食をとった後、ホワイトハウスから帰る際に笑顔を見せたヘンリー・フォード(写真:Universal Images Group/アフロ)

 晩年をいかに過ごすかで人の評価は一変する。「晩節を汚したくない」と自戒しておきながらも、いつのまにか「老害」と呼ばれている人も少なくない。長寿命化の現代においては引き際がますます難しくなっている。経営者や政治家などの偉人たちはどのようにして、何を考え、身を引いたのか。人生100年時代のヒントを探る。第二回は「自動車王」ヘンリー・フォードを取り上げる。

20日かかっていた自動車製造を4日で実現

 記者時代に自動車工場には何度も足を運んだ。

「おお、自動車ってこんな感じで組み立てるのか」と当初は興奮していたのだが、いつのまにか新鮮さが薄れていった。「メーカーが違ってもほとんど同じだよね…」と映るようになったからだ。もちろん、どの会社も絶え間ないカイゼン活動があるし、細かい工夫を重ねている。日々、生産現場が進化していた凄さは今になればわかるのだが、当時は「結局、同じような工程で同じように組み立てるだけだよな」とボヤいていた。

 若気の至りといえばそれまでだが、「同じような工程で同じように自動車ができあがる」ことはすごいことだ。実際、そうした光景が「当たり前」になったのはここわずか100年あまりに過ぎない。全てを変えたのは米国のヘンリー・フォードだ(以下ヘンリー)。

 ヘンリーの功績は誰もが一度は聞いたことがあるだろう。T型フォードの発明で、自動車を金持ちの趣味から、「日常の足」に変えた。T型フォードはただの新車の登場ではなかった。「標準化」の概念を産業界にもたらしたのだ。

 19世紀後半、米国には500社以上の自動車メーカーが存在したが、手づくりの車が中心だった。自動車は大金持ちの趣味の市場に過ぎなかった。故障も多かったが、車種によって部品もバラバラで手に入りにくかったし、熟練の技術者でなければ修理もできなかった。

 こうした課題を克服するために、ヘンリーが車種や部品を標準化した。それまで自動車は最初から最後まで熟練工による手づくり方式だったが、工程を細分化し、熟練した技術を持たない者でも生産できる体制も整えた。組み立てラインの導入だ。