宣孝の猛アプローチによって結婚へ

 父の為時にとって、宣孝は親戚で、かつ元同僚だ。為時と同年代であるため、式部とは年齢が20歳ほど離れている。

 しかも、宣孝には妻子がいたこともあり、父としては複雑な思いもあったことだろう。ドラマでは、為時がまひろにこんな言葉をかけている。

「ただ、これだけは心しておけ。宣孝殿には妻もおるし、妾も何人もいる。お前も慈しむであろうが、 他のおなごも慈しむであろう。お前は潔癖ゆえ、そのことで傷つかぬよう心構えはしておけよ」

 それに対してまひろは「そのことも都で考えてみます」と答えている。その後、都に帰って宣孝と結婚することになるが、実際はどんな経緯があったのか。

 式部は長徳3(997)年の年末から翌年の春にかけて、都へと戻った。すると、これまで歌で求愛してきた宣孝が、式部の邸宅を訪れて直接、思いを伝えるようになった。次の歌は、お互いが結婚を意識するようになる中で、宣孝が贈った歌とされている。

「けぢかくて たれも心は 見えにけむ ことはへだてぬ ちぎりともがな」
(親しく話すようになって私の思いも分かってもらえたでしょうから、できるならば隔てのない仲になりたい)

 それに対して、まひろは下記のように返事をしている。

「へだてじと ならひしほどに 夏衣 薄き心を まづ知られぬる」
(私は隔てをもたないようにと思っていつもお返事しておりますのに、かえって夏衣のような、あなたの薄い心を先に知ることになりました)

 式部の返事は一見、相手を批判しているようだが、よく読むと「私はすでに隔てを持っておりません」ということ。求愛を受け入れるという姿勢を見せている。

 ドラマでは、「こんなに筆マメな方だとは知りませんでした」というセリフによって、手紙のやりとりが盛んに行われていたことが示唆されていた。やはり、いつの時代もマメな男がモテるのだろう。