紫式部の像紫式部の像(京都府宇治市、写真:共同通信社)

『源氏物語』の作者、紫式部を主人公にした『光る君へ』。NHK大河ドラマでは、初めて平安中期の貴族社会を舞台に選び、注目されている。第24回「忘れえぬ人」では、一条天皇が、出家した中宮の藤原定子への気持ちをもはや抑えられなくなり、周囲は困惑。一方、越前では、藤原宣孝からの思わぬ求愛に戸惑うまひろ(紫式部)だったが……。今回の見どころについて、『偉人名言迷言事典』など紫式部を取り上げた著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

伊周の恨みにおびえた藤原詮子、大赦の詔を下す一条天皇

 内裏では、藤原道長の姉・藤原詮子(あきこ)が病床に伏せていた。柄本佑演じる道長が、吉田羊演じる詮子の枕元にやってくると、詮子は弱弱しくこうつぶやいた。

「今、伊周(これちか)がそこに立って、恐ろしい形相で私をにらんでいたの……」

 道長が「晴明(はるあきら)に邪気払いさせますゆえ」と陰陽師・安倍晴明の名を出して安心させようとするが、詮子は「伊周に殺される」とおびえきっている。

 そんな詮子の状態を知り、一条天皇がいち早く動く。塩野瑛久演じる一条天皇は、公卿たちを集めて、こう宣言した。

「女院様の病をお治しするべく、大赦の詔を下す。常の恩赦では赦免しない者も、ことごとく赦免する」

 大赦(たいしゃ)とは、国家に吉凶があったときに罪を許すことをいう。だが、大罪を犯した者については、その限りではない。花山院に矢を放つという前代未聞の不祥事を犯した、藤原伊周と弟の隆家については、どう考えるべきか。ドラマでは、一条天皇がこう続けている。

「伊周・隆家を都に召喚すべきかどうかについては、みなの考えを聞きたい」

 このときの実際のやりとりについては、藤原実資(さねすけ)が日記『小右記』(しょうゆうき)に詳細を書いている。

 長徳3(997)年4月5日、「左大臣、喚(め)しに依(よ)りて御所に参上す」とあるので、左大臣の道長が一条天皇に呼ばれて御所に向かったようだ。「頃(しばら)くして陣に復す」とあるように、道長が「陣定(じんのさだめ)」という公卿が行う評議会に戻ってくると、一条天皇に言われたことをこう伝えた。

「大宰前帥・出雲権守藤原朝臣、去ぬる月二十五日の恩詔を霑すべきや否や。召し上ぐべからざるか。恩詔を潤すと雖も尚ほ本所に在るべきか。其の間、定め申せ」
(太宰権師の藤原伊周と出雲権守の藤原隆家に先月25日の恩詔を適用すべきかどうか、召還すべきではないか、恩詔を適用するとはいえ元の所に留めるべきか。それらについて審議せよ)

 ポイントは2つある。「伊周と隆家に恩赦を適用すべきかどうか」と、適用する場合は「伊周と隆家を都に召喚するか、元の所に留めるかどうか」ということ。