筆者は、戴元社長から招かれてシャープ本社で面談したことがある(詳細は拙著『シャープ再建』を参照)。

「正式に社長に就任してから2カ月で黒字になりました。前の経営者がなぜ黒字にできなかったのか? 今でもわかりません」

 戴社長はコストカットを徹底し、シャープに黒字をもたらしたのだった。

 インタビュー後、橋本仁宏社長室長から戴元社長について話を聞いた。

「戴社長は、シャープの社員寮に住まわれています。以前の旧本社近くの寮は、風呂・トイレが共同でした。堺工場に新しい寮『誠意館』が建設されてからは、この社員寮に移られました。新しい寮は個室に風呂・トイレが付いていますが、社員と同じ環境です」

 社長自ら率先して質素な生活を送り、社員の手本となった。経費削減のために、本社を堺工場内に移転する決断も下した。

 一方、単にコストカットに邁進するだけではなかった。

「本社を堺工場に移転させる時に、創業者の早川徳次氏の銅像を旧本社から移設されました。戴社長は、出勤時に、早川徳次氏の銅像に一礼するのを欠かされません。シャープ社員でも、ここまでする人はいません」(橋本氏)

 私は、1971年4月にシャープ株式会社に入社した時、創業者・早川徳次氏の訓示を聞いている。早川徳次氏は常に「他社がまねしてくれる商品をつくれ」と口にし、当時のシャープには独創性を重んじる社風が根付いていた。戴社長は、この創業者早川徳次氏の考え方を継承した。これなら社員も納得してフォローしやすくなる。

 私は戴社長(当時)と面談して、その人柄は社員寮に住むように「清貧」で、経営手法においては創業者に傾倒し「創業者の精神」を取り戻そうという意思を実感した。この戴元社長の「日本型リーダーシップ」が、シャープ再建に結び付いた主因だと考えている。

JDI救済で見せた現実経営へのブレ

 日本はかつて液晶パネル生産で世界をリードしてきた。だが韓国や台湾のメーカーの台頭により、日本の地位は徐々に低下。ついにはソニー、東芝、日立の液晶事業は産業革新機構の主導により、ジャパンディスプレイ(JDI)に統合されるに至った。

 しかしJDIは設立当初から窮地に立たされつづけていた。

 私は、シャープの株主であり、株主総会にも出席している。

 2019年6月25日にシャープ株主総会に引き続き行われた経営説明会で、私はシャープ会長兼社長(当時)の戴正呉氏に、JDIへの支援を直接依頼した。日本のディスプレイ産業を守るためにも、JDIに対するシャープの支援が必要だと考えたからだ。

(参考記事)JBpress〈シャープ社長が株主総会で見せたJDI支援への関心〉2019年6月28日

「JDIの支援について『要請があれば検討する』と言われています。(中略)怨念を越えて、シャープからJDIへ支援を提案されてはいかがでしょうか?」

 戴社長から次の言葉が得られた。

「日本の国と社会に同じ意識があれば援助したい」

「日本のような大きな国で、シャープとJDIの2社のディスプレイの会社が生き残れないのはおかしい」