政治的な思惑もあった「整備新幹線」計画の弊害

 自動車社会の地方都市では、通勤・通学・買い物・休日の外出といった日常生活に鉄道は組み込まれていない。その一方で、新幹線は域外から企業や人を運んできてくれる魅力的なインフラとしての期待が大きい。在来線の需要はなくても、盛んに新幹線が誘致されるのは、そうした“外需”による「都市の発展」を見越した展望によるところが大きい。

 2030年の開業延期を発表した北海道新幹線の延伸も、同じように新幹線を待ち望む声を原動力として進められた計画だった。しかし、ここまで説明してきたように、ミニ新幹線と北海道新幹線とでは大きな違いがある。それは、北海道新幹線が整備新幹線という計画に基づいて計画されたという点だ。

 整備新幹線の歴史はややこしい。東海道新幹線は1964年に開業したが、東京―名古屋―大阪という三大都市を結ぶ高速鉄道は開業直後から多くの需要を生み出した。そのインパクトによって、全国の地方都市から新幹線を誘致する動きが活発化した。

 また、自分の選挙区に新幹線を呼び込むことで力を示したい政治家たちも多かった。そうした政治的な背景も後押しして全国各地に新幹線の整備計画が持ち上がる。

 当時の日本は右肩上がりの経済成長を続けていたが、他方で国鉄は慢性的な赤字に苦しんでいた。地方都市に新幹線を建設すれば、莫大な工費費を投じることになる。それだけでも財政が厳しくなるが、在来線の客を奪われることで赤字が一層深刻化する。国鉄は「新幹線と在来線のどちらも面倒を見ることができない」と政治家に泣きついた。

 新幹線を全国各地に建設したい政治家と国鉄の事情が複雑に絡み合い、妥協案として1970年に成立したのが「全国新幹線鉄道整備法」である。同法により、東北新幹線の盛岡駅─新青森駅間、北海道新幹線、北陸新幹線、九州新幹線の鹿児島ルートと長崎ルートの5路線が整備新幹線と位置付けられた。

 整備新幹線と並行する在来線の区間は、国鉄(のちのJR)の判断に基づいて切り離すことも可能になった。こうして整備新幹線の開業と同時にJRから切り離された路線が生まれ、それらの区間は地元自治体が出資する第三セクターの鉄道会社へと移管されていく。

 だが、新幹線の誕生によって生まれた第三セクター鉄道の多くは、厳しい経営を迫られている。それは北海道新幹線も例外ではない。