パレスチナ自治区ガザを巡り、イスラム組織ハマスとイスラエルの停戦交渉が難航している。ただ、世界を見渡すと、あちこちで今日も紛争が起きている。そして、過去にも多くの紛争があった。中には、武器を置き、武力による闘いから和平対話を実現させ、平和合意に達した事例もある。
タイの深南部と呼ばれる地域は、今まさに武力抗争から対話へ舵を切りつつある。どのようにして和平対話を実現させるのか、タイの事例はイスラエル・パレスチナ問題に応用できるのか──。実際にタイ深南部で紛争解決のために働いている堀場明子氏(公益財団法人笹川平和財団 主任研究員)に話を聞いた。(聞き手:関瑶子、ライター&ビデオクリエイター)
──マレーシアとの国境に近いタイの深南部というところで、紛争解決にかかわっていると伺いました。なぜタイ深南部では紛争が起こっているのでしょうか。
堀場:紛争の原因の一つに、民族と宗教の違いがあります。タイ深南部のパタニ地方には、「パタニ・マレー」と呼ばれるマレー系の人たちが住んでいます。彼らは、イスラム教を信仰しています。一方で、タイのマジョリティーは、仏教徒です。
タイとマレーシアの国境は川で隔てられていますが、川の両岸には、同じマレー系の民族が住んでいます。川の向こう岸に兄弟が住んでいる、友達がいるといった具合です。
この川が国境になったのは、イギリス植民地時代にシャム(後のタイ)とイギリスがそう決めたから。結果、北側がタイ、南側がイギリス領となりました。これが、パタニの人たちの悲劇の始まりです。
川の北側に住む人たちは、タイが近代国家となる過程で、タイ人と同化するよう、タイ語やタイの文化を強要されました。彼らからしたら、ある日突然、タイから植民地支配を受けるようになったという印象だったかもしれません。
そして、1960年代に入ると、タイ深南部のマレー系の人たちによる、タイ政府への抵抗運動が活発になりました。一部が武装化し、紛争が始まったのです。
──紛争解決のため、現地に足を運んでいると聞きました。具体的にどのようなことをしているのですか。