「若者のテレビ離れ」が進んでいると言われて久しい。かつてテレビは「メディアの覇者」として日本中の視聴者を沸かせていた。しかし今や若者はインターネットで動画やSNSを見る時間の方が多く、テレビ番組を見る時間は少ない。このほど出版された『テレビ局再編』(根岸豊明著、新潮新書)では、キー局の元幹部がこれまでの日本のテレビ業界の変化や未来の予測について語っている。果たしてテレビ業界はこのまま衰退してしまうのか? 新たな活路を見出すのか?
(東野 望:フリーライター)
放送開始前は赤字必至と言われていたテレビ業界
本書の筆者はジャーナリストでメディア研究者の根岸豊明氏。日本テレビで編成、報道、メディア戦略に従事した後、同社で取締役執行役員、札幌テレビでは社長を務めた。テレビ業界のど真ん中を歩んできた一人と言っていいだろう。
歴史を振り返ると、テレビが日本で放送を開始したのは、今から70年以上も前の1953年のことだ。このころの人気番組はプロレスやプロ野球の中継だった。
当時テレビ受像機は一般家庭には手が出せないほど高価なものだったが、東京都内や近郊53カ所に「街頭テレビ」が設置されており、娯楽に飢えていた人々から爆発的な人気を呼んだ。放送開始前は赤字必至と言われていたテレビ業界だが、その人気ぶりに多数の広告スポンサーが集まり、急激な成長を遂げていく。
1964年の東京五輪が躍進の契機に
躍進の契機となったのが、1964年に開催された東京五輪だ。五輪の中継放送に合わせて白黒だったテレビのカラー化が進められ、一般世帯にも普及した。
高視聴率の人気番組に全国の視聴者が夢中になり、テレビは「家族団らん」の象徴と目されるようになった。まさにテレビ全盛の時代が訪れる。
1970年代、日本万国博覧会、札幌オリンピックなどの国家的イベントを経て、72年に発生した「連合赤軍・あさま山荘立て籠もり事件」でNHK、民放共に9時間の現場生中継が行われ、全国の視聴者がテレビに釘付けになった。ドラマはホームドラマ全盛の時代となり、バラエティではザ・ドリフターズの「8時だョ!全員集合」が高視聴率番組として週末の夜を独占した。実際、テレビは面白かった。テレビは何でも叶う「魔法の箱」だった。生粋の「テレビっ子」だった私たちにとってテレビは家族の一員だった。
こうして「メディアの覇者」となったテレビに大きな転機が訪れるきっかけは、パソコンの登場、インターネットの広がりだ。