喜劇王・エノケンの時代、到来
『青春酔虎伝』で全国区人気を得た後、戦時中を挟んで、昭和30年(1955)頃までの約20年間、エノケンが日本を代表する喜劇王として君臨した時代になると思います。
山本嘉次郎とのご縁はこのあとも長く続き、山本はシネオペレッタと称するエノケン映画を何作も監督しますが、名伯楽としても黒沢明ら戦後の東宝を支えていく監督たちを育て、三船敏郎を見出しました。
その黒沢明が戦時中に歌舞伎の「勧進帳」を下敷きにした映画『虎の尾を踏む男達』の強力役にエノケンを登場させています。
戦後のエノケン映画といえば昭和23年(1948)公開の『歌うエノケン捕物帖』(監督・渡辺邦男、音楽・服部良一)も楽しめます。
岡本綺堂の戯曲で新歌舞伎の演目「権三と助十」を下敷きにしたマゲ物喜劇ですが、笠置シヅ子、藤山一郎の共演で8曲もの歌が聞かれるシネオペレッタです。
ジャズに日本語歌詞を乗せたパイオニア
エノケン映画の魅力はアクションだけではなく、エノケンの歌う洋風流行歌にもあります。
舶来のジャズに日本語を乗せた『私の青空』『月光値千金』『洒落男』など、エノケンの代表作とされる歌は大正一桁生まれの私の両親も知っていましたから、日本中を席巻していた、その知名度と人気のほどがしのばれます。
エノケンが特筆されるのは、観客を喜ばせる芝居勘とアドリブ感覚に加え、運動神経と音感のすばらしさ、この二つの武器を持ち合わせていたことでした。
何か一つ持ち合わせていれば、それなりの人気を持ち得たでしょうが、今から90年近く前の昭和10年代に、身の軽さを生かしたチャップリン風の軽業芸(これは無声映画での必須演目)に加え、目玉ぐりぐりの愛嬌のある顔で歌を歌うのですから、トーキー時代到来にふさわしいスター誕生だったといえるでしょう。
チャップリンと異なるところは、笑いと涙で観客の心を掴むのではなく、笑いだけでお客さんを楽しませたことでした。サイレント映画時代のスター、バスター・キートンとハロルド・ロイド、そしてトーキー初期のマルクス・ブラザースを合わせたようなキャラクターを一人で演じていたわけです。