人気者になるまでのエノケンの歩み

 明治37年(1904)10月11日、エノケンは東京・青山のカバン屋の長男として生まれます。15歳で旧制・攻玉社中学校に入学するも、勉強嫌いで一度も通学せず、奉公に出ても長く続かず、浅草のオペラや活動写真に熱中します。

 映画・演劇好きが高じてついには役者志望に至り、当時、無声映画の大スター、目玉の松ちゃんこと、尾上松之助に弟子入りを志願しましたが、失敗。

 その後、大正11年頃に浅草オペラの根岸大歌劇団・柳田貞一に弟子入りし、舞台役者としての一歩を踏み出します。

 28歳のときに自らエノケン劇団を旗揚げし、やがて舞台で当たった人気演目が次々と映画化され、エノケンの名が広く知れ渡るようになりました。

ダミ声の魅力と天性の音感

 生前のエノケンを知っている人にとって印象深いのは、一度耳にしたら忘れがたい、あのダミ声でしょう。ダミ声と一本調子の歌い方だったため過小評価されがちですが、エノケンを侮ってはいけません。実は、エノケンは確かな音楽的才能を持っている役者だったのです。

 亡くなる1年半ほど前の昭和43年(1968)、NHKテレビ『人に歴史あり』に出演した際、すでに車椅子での登場でしたが、田谷力三、坂本九が見守る中、司会の八木アナに促されて持ち歌だった『私の青空』をスタジオの観客とともに歌うことになりました。

 エノケンは周囲を見回し、「キーが高いけれど大丈夫ですか」と声をかけてから、いきなり伴奏なしで歌い出します。これが、レコードと同じオリジナルキーと寸分たがわぬ確かな音程。エノケン63歳のときでした。

 エノケンは子供の頃にバイオリンを習っていて譜面も読めたので、新作の楽譜をもらうと愛用のバイオリンで音をとりメロディーを覚え、すぐに自家薬籠中のものにしたそうです。

 音程も確かなら浅草オペラで鍛えられていたので言葉も明瞭。それをさらに愛嬌たっぷりに崩して歌うので、お客さんが虜になるのも無理はありません。おそらくお客さんは劇場を一歩出ると、きっと覚えたての劇中歌を、エノケンを真似て口ずさんでいたことでしょう。