上杉の家紋を流用した晴宗の事情

 さて伊達晴宗の手元には、名刀「宇佐美長光」など、上杉家からの引出物が残っていた。これらは父からの戦利品でもある。

 そこで晴宗は、この家紋を自分のものとして使うことにしたのだという。

 戦国時代から200年以上後に編纂された『寛政重修諸家譜』によると、かつて伊達家では足利将軍から賜った「二端頭(にたんかしら)」を改変して「三引両(みつびきりょう」を家紋としていたが、晴宗の代になり、「また(これを改めて)竹に雀を用ひ」始めたと伝えられている。

左・三引両 右・竹に雀

 ただ、どうして晴宗が上杉の家紋を使う気になったのか、これがよくわかっていない。一応、時宗丸が越後に入らず実家に留まったこと、そのため越後上杉家は後継者を得られず、その家紋を受け継ぐ者がなくなったことで、私的に流用しても大丈夫そうな材料が揃ってはいる。

 だが、この家紋は定実の家督を相続する時宗丸個人に与えられたものであり、晴宗または伊達家そのものに与えられたわけではない。それがいつのまにか有耶無耶になり、晴宗が独断で流用したような話になっている。

 伊達家は「竹に雀」をそっくりそのまま使うのではなく、いくらか手を加えて、オリジナルの色を強くした。冒頭で示したように、現代でも見分けがつかない人がいるけれども、並べて見比べてみると、両者のデザインはやっぱり別物である。なので上杉の家紋ではないと言い張ることが可能である。

 ただ、それでも伊達で代々使われてきた家紋をあっさり変えてしまった動機は、判明していない。ここで傍証材料がある。越後の上杉謙信である。