そんな中に、さりげなく週刊誌の記事がおかれている。訪問者の指摘になるものだが、館内のコンクリートの壁に、坂本龍馬の蓬髪頭を思わせるような頭部のシルエットが浮かび上がっているというもので、記事にはその写真も掲載されている。

 え? これはどこにあるのかな、と呟くと、すぐそばに座っていたキュレーター(?)のおばあさんがいきなり、「天井!」といったのには驚いた。そこにいたのかい? という驚きはともかく、そっくりかえるようにして天井を見上げると、たしかにそれらしきシミがあったのである。まあ、それだけのことだが。

 コロナ前までは来訪者はかなりの人数があったらしい。現在ではそれでも平日に10~20人、週末ともなると50~100人の見学者がいるということだった(月曜日は休館)。コロナ以前は中国人が多かったが、最近の顕著な傾向はヨーロッパからの来訪者が増えているということだった。

 司馬作品の欧米語への翻訳が多くなっていることの影響ということらしいが、調べてみると42の作品が11の言語に翻訳されている。ちなみに「竜馬がゆく」の英語タイトルは「RYOMA!」である。

ここまで情熱と努力を持てるのだ

 半藤一利が司馬遼太郎の人間性を彷彿とさせるエピソードを披歴している。

『街道をゆく2 韓のくに紀行』のときに、司馬の韓国案内をしたミセス・イムの上司(?)であるミス・チァさん。彼女がこのようにいったという。「私はいろんな日本人を知っていますけれども、ろくな人はいません。司馬さんだけが例外です」

 安野光雅が、司馬遼太郎の生き方・人との接し方・その博学ぶり、すべてをひっくるめて「おれも生きたや、司馬遼のようのように」といっている。

 また鶴見俊輔は「この人は生涯、一書生として生きようとし、生きることができた」と書いた(以上、『司馬遼太郎の遺産「街道をゆく」』朝日文庫から)。

『街道をゆく』は、人は、歴史と人間と知識に対してここまで情熱と努力を持てるのだと勇気づけられる本である。現在読んでいるのは『22 南蛮のみち1』である。これも入れてあと21冊もある。味読したい。読み終えれば、また最初から読み返す愉しみがある。

 司馬遼太郎の命日は2月12日で「菜の花忌」と名付けられている。毎年その時期になると、記念館の呼びかけに応じて、近隣の人々が育てた菜の花が通りに並べられるという。

 さぞや美しい光景だろうと想像され、1回見てみたいと思うが、残念ながら、もう再訪することはないだろう。

 菜の花のタネが記念館のお土産で売られていた。せめてプランターに植えてみようと思う。