「ロシアに心を売ったかつてのクラスメートの名前、僕は諜報機関に報告してやった」

 ウクライナにはロシア語話者が多い。第二次大戦で1000万人以上の人的被害をこうむったウクライナに戦後ロシア人が大量に移住し、ソ連末期(1989年)には人口の22%を占めるにいたる。

 とくにロシアと地続きの東部一帯では、住民の多くはロシア語を母語とし、ロシア人との通婚も当たり前のように行われてきた。

ピンク色がロシア軍支配地でひし形がロシア軍の部隊の位置。下線の町が主な取材地。リマン(Liman)は前線から約13キロ。(Deep State Mapより)

 ゼレンスキー大統領も母語はロシア語で、ウクライナ語を学んだのは政治家を志してからだった。これで分かるように、ロシア語話者が親ロシア感情をもつわけではない。通訳のユーリーはロシア語話者だが愛国心は旺盛で、親ロシア派の友人とは絶交していた。

「かつてのクラスメートには、ロシアに心を売った奴もいる。僕はそいつらの名前をウクライナの諜報機関に報告してやった」と憎しみをあらわにユーリーは言う。