法的に違法、政治的に不正だったパレスチナ分割案
──私がテレビなどを見ていて感じるのは、ハマースが、イスラエルに奇襲攻撃を仕掛けて人質を取った。だから、イスラエルは自衛のために戦っている。もともとあの辺りは宗教を巡る戦いがずっとあるので、それがまた始まったのだ。どっちが良くてどっちが悪いのか、複雑で分からない──。およそそのような印象だと思います。
岡:メディアの報道や一般の方の印象はそのようなものだと思います。その見方は間違っています。これは宗教を巡る戦いなどではありません。企業メディアは、「憎しみの連鎖」や「暴力の連鎖」などの言葉で、何事かを語った気になっていますが。
──「パレスチナ分割は、国連憲章違反であり法的に違法、アラブ国家は経済的に持続不可能、政治的には不正──これがアドホック委員会の結論です」「ところが、アドホック委員会がこのように結論づけた分割案が、特別委員会で可決され、総会にかけられて、ソ連とアメリカの多数派工作によって賛成多数で可決されてしまいます」「振り返れば、まさにこのアドホック委員会の結論こそ、正しかったと分かります」と本書に書かれています。アドホック委員会の結論がどのようなものだったのか、この結論がなぜ斥けられたのか、あらためて教えてください。
岡:第二次大戦後になると、国連が植民地の独立を高らかに謳うようになります。「植民地主義は歴史的な不正」であり「植民地の独立こそが正義である」という考え方です。
このような価値観がすでに普遍的なものとして共有された時代に、パレスチナ人の土地を奪ってイスラエルという国ができた。これがパレスチナ・イスラエル問題のパラドックスであり、問題の起源の1つです。
ナチスのホロコーストを生き延びたものの、帰るところを失い、難民となったユダヤ人がヨーロッパに25万人もいて、当時の連合軍にとってはこのユダヤ人難民をどうするかということが最大の課題でした。だから、パレスチナを分割して、欧州で難民となったユダヤ人の国をそこに作ろうと考えたのです。
この時に、国連の特別委員会がアドホック委員会を設けて分割案を検討させました。アドホック委員会の結論は、パレスチナの分割案は「法的には違法」というものでした。
当時のパレスチナは、英国による委任統治領という事実上の植民地になっていました。しかし、委任統治とは、その土地の住民が独立できるようになるまで英国に統治を委任しているということであって、別の土地の人たちのために、そこに新しい国を作って良いなどということはありません。
欧州のユダヤ人が難民となったこととは何も関係ないパレスチナ人に、その代償を支払わせる形で解決を図るなどということは「政治的に不正である」と判断されたのです。
国連憲章に違反しているし、アラブ国家はこんな分割をされたら経済的に持続不可能になる。「こんな分割案はたとえ採択されても機能しない」とまでアドホック委員会は言いました。
この時点では、アメリカの国務省も「明らかに現地の人たちが不幸になると分かるような政策を支持できない」と言っていました。ところが、それが一転して賛成に回るのは、トルーマン大統領の介入があったためです。
1945年4月、トルーマンはルーズベルト大統領の急死によって、副大統領から大統領に繰り上げとなった。国民から選ばれたわけではないからこそ、次の選挙では何としても勝たなければならなかった。その時に、親シオニスト組織の集票力に期待して、ユダヤ人の国をパレスチナの土地に建設することに賛成したのです。
パレスチナとイスラエルの問題は、様々なところに起源を示すことができますが、1つは、1947年11月のこの国連総会での分割案の採択にあります。