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「教育の無償化」に関する議論が政界を中心に活発化している。だが国際教育政策の専門家、畠山勝太氏は、昨今の教育無償化議論には致命的な落とし穴があると指摘する。それは、教育の「コスト」ばかりに目が向けられ、「コスパ」がおろそかにされていることだ。

 教育無償化の是非を検討するうえで、本来精査すべき教育のコストとパフォーマンスとは一体何か。コスパを向上させるものとして、世界ではどのような教育政策が議論されているのか。日本の教育政策の検討に不可欠な論点を、畠山氏が4回にわたって解説する(第1回)。(JBpress)

◎連載「教育の『コスパ』とは何か」記事一覧はこちら

(畠山 勝太:NPO法人サルタック理事、内閣府国際平和協力研究員)

なぜ教育の「コスパ」の分析が必要なのか

 少なくない人が何か物を買う・投資をするという決断をする時に、恐らくコスパのことを多少は考えているはずである。

 卑近な例を引けば、私は何か食料を買うときに、値段と脂質とタンパク質のバランスを見て、ベンチプレスのための体づくりにとってコスパが良い食材を買うようにしている。この際によくある間違いは、コスパとは本来コストとパフォーマンスのバランスのことを指すのに、パフォーマンスを全く考慮せずコスト面だけを考慮して買い物をしてしまうことである。私も、プロテインを購入する時に、タンパク質含有量をちゃんと確認せずに、これは安いなと飛びついて後で成分表示を確認して、「やってしまった・・・」と後悔したことは何度もある。

 それはさておき、このコスパを考えるというのは、教育についても当てはまるはずである。なぜなら、「学校に行く」「学ぶ」という行為も、授業料など(コスト)を支払って、対価を(パフォーマンス)を得る、という消費・投資行動の一種だからである。

 大学進学を例にとってみよう。私は大学受験は1校しか出願しなかったのであまり考えなかったが、大学で学んだことがある少なからぬ人は、どこの大学へ出願するかを考える際に、こちらの大学よりもあちらの大学の方が授業料(コスト)が安い、あちらの大学よりもこちらの大学の方が就職実績(パフォーマンス)が良さそうだ、といったコスパを考えたはずだ。もちろん、大学に進学するかしないかの判断についても同様の構図は当てはまる。

 しかし不思議なことに、教育政策関係者やメディアが繰り広げる教育議論から、「教育のコスパ」という概念が綺麗に抜け落ちていることをしばしば目撃する。

 この現象の最たるものが「教育の無償化」だと私は考えている(以下では話の簡潔さのために、教育の無償化を、その金額が大きくなる“大学”の無償化に話を絞って進めていくので、この点は留意しておいてほしい)。