この頻度から察するに、どうやらこの話題は老若男女、「世の中が変わらないでほしい」「このままでいい」と無意識に願う人たちにとって居心地がいいようだ。

 古いのである。「また(まだ)言ってんのか」である。

 若い子たちが(若いのに)「そうだそうだ」なんて言っていたりするのを見ると、「ああ~、日本は結局、先進国じゃないんだな~。そりゃいまだ先進国中最低、UAEより中韓より低いとされるジェンダー意識と、OECD加盟国中最大の男女間賃金格差が放置されているわけだわ~」と、日本の貧しさを痛感する。

「もう戦後じゃない?」 いいや、日本は男女の価値観はまだ戦後、ていうか、日本っていう国は、世界大戦も経済戦も、敗戦して貧しくなるとここに戻ってくるのである。

 この問題は男子より女子の方で根深い。女子よ、自分を換金する貧しい発想からとっとと自由になりなさい。もっと他の持続的で生産的な武器を手にして生きなさい。人間関係や恋愛をコスパで考える発想は「女子が貧しい」ことの表れだ。

 私は、経済失墜と“失われた30年”の末に、日本の若い女子の中にいまだそういう「自分の美や肉体を換金する人生」発想や人間関係をコスパで捉える貧しい発想が生きていること、そういう女子を21世紀にもなお育ててしまったことを「日本の大人たちは大いに反省するべきではないか」と、胸が痛むのである。

 自分で食べる分は自分で払える人間でいた方がいい。そもそも「おごる」とは「相手をもてなす」精神だ。もてなされることを端(はな)から当然と思う人間は、男性であれ女性であれやはりちょっと立ち止まって考え直せと叱られても仕方ないだろう。

 何をどう食べるか、食とはその人であり、食にまつわる言動とはその人自身にまつわる言動である。食と人間関係の交差点である「デート」をコスパで考えている間は、男も女も、まあモテない。

◎連載「河崎環の『令和の人』観察日記」記事一覧