このように、「デート代や食事のお金は男性側が負担すべきだ」と人を性別で雑に分類して、役割を押し付けながら疑問を持たない“性別による無意識の思い込み”をアンコンシャスバイアスと呼ぶが、ジェンダーバイアスは、女性の側にも大いに、かつ深刻に残っているということである。

 この件に関して、タレントのフィフィさんが的を射た指摘を残している。「家事は女性がするものだ!には発狂して、食事は男性が奢るものだ!には黙り・・・何が男女平等やねん。上げるならどちらにも声上げなきゃだよ」と彼女がツイートした通り、いまの時代、男女反転して男性側から女性へ「~してほしい」「~すべき」という性別役割を固定するような発言があれば「男尊女卑」と大騒ぎになるが、女性側から男性側へのバイアスに関してはまだまだ「ゆるい」のが現状だ。

おごるのがいい男?

 そしてまた、下心満々の外野のおじさんたちが「えっ、若い女の子に食事をおごるのってもう“コンプラ的に”アウトなの? 断られたり怒られたりするの?」と恐々としながら、議論の行方を見守る様子も興味深かった。

 暇を持て余して「食べログ文学」なんかをしたためる素人おじさんたちのメシ批評を見ていると、必ずと言っていいほどキレイな女子と一緒に行ったとアピールし、自分は黒光りする(何が)百戦錬磨のグルメであると主張し、何やらを連想させる官能的な食材の描写をし、なるほど、食と色の近距離ぶりを感じる。おじさんなのに若い女子のふりをして巧妙な投稿をするタイプのネカマもいる。

 グルメ系のコンテンツが大流行りしたり、人々がSNSにメシの写真をせっせと上げたりメシ批評を書き続けたりするのは、どこか現代人類が社会的動物として色の欲求を食の欲求に置き換えて依存するような部分もあるのだろう。