今年12月に89歳の誕生日を迎えられた上皇さまと美智子さま(写真:つのだよしお/アフロ)

(つげ のり子:放送作家、皇室ライター)

上皇さまと美智子さまの「キューピッド役」

「死は傑出した人を露(あらわ)にする」

 この言葉は、「マイ・フェア・レディ」の原作者であり、ノーベル文学賞を受賞した著名な劇作家、バーナード・ショーが遺した格言である。

 年末になると、今年一年の間に鬼籍へ入られた方たちの功績が、改めて報じられていく。

 なるほど確かに傑出した人物は、多くの逸話を語らなくても市井の人びとの胸にしみじみとした面影をしのばせる。かつてどこかで、そうした人物の存在に触れ、何かしらの想いを胸に刻んでいるからなのだろう。

 今年は長年にわたって皇室と深く関わってきた方たちの訃報も相次いだ。

 中でも、上皇さまのテニス仲間として、ほぼ70年もの長きにわたり親密な友人関係を保ち、ご結婚前の上皇さまと美智子さまとの間を電話で取り次いだ「キューピッド役」として知られる織田和雄(おだ かずお)さんの逝去の報は、あまりにも突然であった。

テニス仲間だった上皇陛下と織田和雄氏(写真提供・織田和雄)

 報道によれば、11月25日、虚血性心不全のため東京都内の自宅で亡くなったという。享年87歳。

 実は、筆者は亡くなる1カ月ほど前の10月19日、織田さんが毎日のように利用していた、六本木の国際文化会館でランチを共にした。耳は多少遠くなってはいたものの、愛車である深紅のボルボを自ら運転して現れ、87歳とは思えないほど、かくしゃくとして意気軒高であった。

 なにしろアジア人初のオリンピック金メダリストで陸上選手だった織田幹雄さんの次男。体力には自信があったようだ。

 筆者と織田さんとの交流は、テレビ東京系『皇室の窓』への出演に際して取材したことから始まった。著書『天皇陛下のプロポーズ』では全体構成をお手伝いし、以来、公私にわたって多くの示唆を与えて下さった。筆者が曲がりなりにも皇室ライターとして仕事ができているのも、織田さんのおかげと言っても過言ではない。