「撮影では生活できない」沈痛なことば

 上映会は「累積赤字」である。続ければ続けるほど「赤字になり、自分で首を締めているに等しい」。それでもスタッフや出演者への謝礼は身銭をきってでも支払う。上映会に「出演や撮影協力をお願いしていたところから、すべて断られました(苦笑)。お偉い人は冷たいですね。断る理由が露骨です。私にもっと知名度があり、社会的地位があったら結果は変わったでしょうね(苦笑)。いつか見返してやりたい邪念すら湧いてきました(苦笑)。ほんと、残念で、情けないです」

 保山氏がYouTubeという媒体を発見したとき、わたしは、氏が発表の場が確保できたと喜んでいたのかと思ったのだが、氏にはあくまでもテレビカメラマンとしての誇りと自負があるのだ。YouTubeという媒体をほんとうには信頼していない。広告の「ほとんどがセンスがなくて下品」だと書いている(同感!)。「チャンネル登録や視聴回数」は伸びない。「YouTubeの世界では無に等しい」存在。「なんか、虚しくなってきた」「YouTubeで作品を公開することに魅力を感じなくなりました」

 東大寺や興福寺では三脚の使用を禁止された。春日大社では自由に撮影をしていいと公認されているのに。自分自身の存在意義を疑うようになる。生きている意味も失いそうになる。「私の映像詩が、多くの人に求められていない」。上映会をしても満席にならない。ライブ配信の投げ銭も微々たるもの。ようするに、だれからも待たれていない。望まれてもいない。だれも気にしていない。奈良からも必要とされていない。もう社会からも必要とされてない。「それが現実なのです」

 今年の3月、保山氏がNHK奈良で、月4回毎土曜日に5分間放送する番組「やまとの季節七十二候」の撮影の仕事がなくなった。それまでは「貧困ではあっても生活出来ていました」。だがこれで最後の「ライフラインを失う」ことになった。生活の方途が絶たれる。「4月以降、撮影以外の仕事であっても、後遺症を抱えた私に出来る仕事を見つけられていません。撮影しながら生きていくなど夢物語になります」

 それ以後、かれの文章は長くなり、沈痛である。「結局、私は撮影では生活出来ないのです。私はカメラマンとして生きていくことを人生の最後の最後で天から許されなかった。社会から必要とされていない。だから、すべて終わってしまうのです。たったひとつの居場所もありません。人生も、生きることも、社会も、運命も、残酷です」

「期待もしない。でも、夢だけは持っている」

 保山氏の願いはただひとつ、「いつの日か、病気もお金も気にすることなく、それらから解放され、撮影を続けられる日が来ること」だけなのに、それが許されない。追いつめられて、ついに「絶対に逃げられない苦しみを抱えて生きるなんて限界だ、もうすべて終わりにしたい」と書くにいたる。

「今は何も考えられない。生きているけど、死んでいるのと同じ。目の前の桜は悲しいほどに美しい。その桜を何も考えずに淡々と撮るだけ。私がこれまで歩いて来た長い道が今日、終わった」。