合気道(1986年5月17日に行われた全国大会、写真:山田真市/アフロ)

(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)

 津本陽という歴史小説作家がいた。池波正太郎や司馬遼太郎、あるいは藤沢周平といった国民的人気作家に比べると、いささか地味だったが、明治期の古式捕鯨を描いた『深重の海』で直木賞をとり、信長を書いた『下天は夢か』はベストセラーとなった。読んだよ、という人も少なくないだろうし、津本ファンだったよ、という人もいるだろう。

「巻を措く能わず」一気読みした

 1986年、『柳生兵庫助』の第1巻(毎日新聞社)が出版されたとき、わたしは早速購入して読んだ。待ちわびていたのである。ところがこういってはなんだが、これが、あまりおもしろくなかったのだ。おかしいな、『明治撃剣会』や『薩南示現流』はおもしろかったのに、どうしたことか。

 それでも我慢して読み進めてはみたが、どうしても文章がだめで(生意気なことをいっている)、ついに途中でやめた。津本陽はあまりおもしろくない、という悪い記憶が残ったままになってしまったのである。

 2か月ほど前、アマゾンで本を検索していて、偶然その本に出会った。なぜかひさしぶりに、読みなおしてみようと思った。36年ぶりだ。文春文庫を経て、双葉文庫で2度目の文庫になっていた(それだけ価値が認められているということだ)。図書館で借りたのだが、第1巻は『刀閃の刻―柳生兵庫助』である(次の図でご覧のように、表紙に巻数表記がなくて不便である。全10巻あるのだが、各巻『○○の刻―柳生兵庫助』という書名になっている)。

 以前の苦い記憶が残っていた。どうかなと思って読みはじめたのだが、これがどういうわけか滅法おもしろかったのだ。おどろいた。いったい昔、なにを読んだのか。これはおなじ本なのか。それとも、わたしがいい年の取り方をしたということか。

 よくわからないまま、最後の『翔天の刻―柳生兵庫助』まで全10巻を一気に読んだ。巻を措く能わず、というほどのめりこんで本を読んだのは、池波正太郎の『真田太平記』(全12巻、新潮文庫)以来である。読書の醍醐味を味わったといっていい。至福であった。

 柳生兵庫助(幼名、兵介・平助)は柳生新陰流の流祖・柳生石舟斎の孫である。幼年から剣の素質にすぐれ、その腕前は、叔父の将軍家兵法指南役・柳生宗矩をしのぎ、新陰流三世を襲名するほどであった。ちなみに柳生十兵衛は宗矩の子で、兵庫助の甥にあたる。津本陽はその兵庫助の、修行の姿や剣技、独自の性格や考え方、他流との息詰まる試合に明け暮れた生涯を見事に描いている。