安全性や必要性、徹底再考を

 1964年に開業した東海道新幹線も、開業して1年半後に車軸が折れ、大惨事をひきおこしかねない事故を起こしていた。30年以上、その情報は公開されていなかった。

 1966年4月25日、新大阪発東京行の「ひかり42号」は、愛知県内を走行中、車掌がガタッという異常振動を感じ、台車から火花が出ているのを見て、運転手に通報して非常ブレーキがかけられた。車掌の的確な判断が乗客の命を救い、新幹線の運命を救った。折れた車軸がバラバラになって脱線しなかったのは、たまたまだったと見られている。

「(部品が)少しでもずれていたらたちまち脱線で、あの名古屋熱田付近の30mの高架から脱線墜落して1000人以上の死傷が出た情況を考えると、慄然とせざるを得ません。これで新幹線も終わりでしょうし、これによって復興の機を得た世界の鉄道も終わりでしょう」

 新幹線の父と呼ばれる島秀雄・元日本国有鉄道技師長は、こう遺言に書いた*7

 次も運良く切り抜けられるとは限らない。「リニアは少なくとも一旦工事を中止し、安全性・必要性・環境負荷等を徹底再考すべきだ」と石橋氏は話している。

*7 高橋団吉『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(小学館、2000年4月 p.249)

【プロフィール】
添田 孝史:科学ジャーナリスト。1964年生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。90年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。東電福島原発事故の国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書に『原発と大津波 警告を葬った人々』『東電原発裁判』(ともに岩波新書)などがある。