著名な育児論や教育法はたくさんあるけれど、理想通りにいかないのが子育て。だからこそ、机上の空論ではなく、実際に日々悩み、模索しながら子育てに向き合ってきた先輩たちのリアルな声が聞きたい。そんな思いから、独自の育児をしてきた先輩パパママたちの“子育て論”を聞く本連載。
双子の男の子を育て上げ、料理研究家として各方面から引っ張りだこの上田淳子さん。後編では、働くママが当たり前ではなかった時代に見つけた、仕事と子育てのバランスの保ち方を伺う。
好きな道を邁進! しかし出産後に迎えた変化で感じた戸惑い
現在までに数十冊の著書を発売し、多方面で活躍する上田淳子さん。「料理が好きすぎて、この道に辿り着いた人間です」と話す通り、子どものからその兆候は色濃く出ていたという。
「元々食べることが大好きで、ファッション誌ではなく『きょうの料理』を愛読する学生だったんです。そんな中で西洋料理の華やかさや世界観の美しさに魅せられ、フランス料理人を目指すようになりました。
調理学校に入学したけれど、当時の就職口に女性の枠はなかった。唯一フランス料理に触れていられる方法として、学校に職員として残ってみたものの、私が求めているものには辿り着かないと判断し、現地に行くことにしたんです。だって当時は女性の料理人なんていないころで、厨房はおろか、サービス提供もダメ。クロークなら働いてもいいですよと言われる。今では考えられないでしょう?」
“自分の好き”に正直に向き合うため、どんどんと行動を起こした上田さん。24〜27歳の3年間をスイス、フランスで過ごし、各所で修行。帰国後にシェフパティシエなど務めたのちに独立し、ほどなくして双子の子宝に恵まれる。まだ働くママが当たり前ではなかった時代、当時は大きな葛藤があったという。
「私が出産したころは、寿退社する女性は減少していたけれど、出産で家庭に入る女性がほとんどでした。男女雇用均等法が成立したとはいえ、実際に取り入れているのはトップ企業などほんの一部。とはいえ、育児休暇から復帰しても元のポジションに戻れることも少なかったと思います。
私は企業人ではなくフリーランスだったので、母になり、自分がなにもできなければ無職になる立場。今まで培ってきたことや経験、自分が目指していたものがすべて白紙になる。その喪失感に襲われていました」
考え方の変化で生まれた新しい可能性
大小はあれ、働くママたちは似たような経験があるのではないだろうか。しかし現在上田さんは料理の世界で活躍を続けている。その感情をどのように消化し、仕事と子育てを両立していったのか。
「もう料理を作れることが幸せだと思うことにしたんです。新しい題材として子ども(双子)という実験ツールができたんだと考えました。
例えば、牛ほほ肉の赤ワイン煮は作れるけれど、離乳食用のちゃんとしたおかゆは炊けるのだろうか? と、そういうギャップで子育てのご飯をおもしろおかしく追求していこうと思考をチェンジしました。別に書物を読み漁ったり、急に閃いた感情ではなく、目の前で食べる子どもたちを見ていたら自然とそんな感情が芽生えたんです」
私はたまたま“食べる”という日常の中にあることを仕事にしていたので、わかりやすかったのですが、どんな職業でも考え方次第でそれを日常や子育てに落とし込める可能性を秘めている気がします。例えばグラフィックデザイナーだったから、子どもと一緒に絵を描いてみてもいい。そこでなにかおもしろいことが起こるかもしれません」
知人にその気づきを話したところ好反応が返ってくる。そこで『双子の離乳食日記』という企画書を作り、出版社へ売り込んだ。
「企画内容をおもしろがってもらい、連載を一年弱担当させていただきました。その後、料理を元々生業としていて、離乳食にきちんと向き合っていた人間として、子どもの食についてのお仕事をいただくようになったんです。他のご家庭やお母さんの意見も集めながら、時代のニーズに合ったレシピ提案を意識してお仕事を続けるようにしました。
そうやって子どもの成長と自分の料理スタイルをリンクさせて、仕事に結びつけられたことがよかったんだと思います。自分のやりたいことと、今置かれている環境の中でそれを融合させたものを見つけられたということですよね」