ウクライナ戦争はいよいよ大詰めを迎えようとしている。
ウクライナ軍はヘルソン州での攻勢には成功しなかったものの、ハリコフ州での奇襲には成功し、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は今年(2022)9月13日に8000平方キロの領土を奪還したと公表している。
しかし同時に、ゼレンスキー大統領は「ロシアが奪った領土をそのまま維持するのを認めるような停戦」には拒否姿勢を示している。
ウクライナ軍は奪われた領土の奪還に成功するのであろうか?
他方のロシアは、住民投票を行い占領地域のロシア領への併合を既成事実化しようとしている。
ロシアはハリコフ州を失ったが、核使用という切り札を持っている。それが行使されるとすれば、どのような場合であり、その可能性はどの程度あるのだろうか?
敗北していないロシア軍
へルソン州でのドニエプル川西岸地域のロシア軍に対し、まずハイマーズ(High Mobility Artillery Rocket System、HIMARS=高機動ロケット砲システム)により同川の橋梁3カ所と上流の水力発電所のダムが破壊された。
これによりロシア軍の後方補給線が絶たれた。
ロシア軍はすぐに数本の浮橋を建設して補給線を確保しているが、従来の橋梁を使用できなくなり、補給量や東岸からの部隊の増援に制限を受けることにはなったとみられる。
この約2.2万人のドニエプル川西岸のロシア軍に対し、約3.5万人のウクライナ軍が8月29日から南北2正面でまず攻勢に出た。
それによりロシア軍を南北に分断拘束し、その間隙の中央から主力による突破を試みたとみられる。
ウクライナ軍の計画は、ポーランドなどから供与された数百両の「T-72」型戦車や装甲車両からなる戦車旅団などを主力とし、NATO(北大西洋条約機構)から供与されたハイマーズなどの長射程火力と対空ミサイルの援護下に中央を突破し、州都ヘルソン市の奪還を目指すことにあったとみられる。
しかし、ロシア軍の強大な阻止火力と航空攻撃により甚大な被害を出し、3正面からの攻勢はいずれもロシア軍により阻止された。
特に、ヘルソン州のドニエプル川西岸は、平坦な地形で隠蔽できる森林などにも乏しいため、集結中の部隊が発見され集中砲火により損害を出し、あるいは突破を試みた戦車部隊や装甲車両がミサイル攻撃で大損害を出した模様である。
このような戦況を挽回するため、約2万人のヘルソン正面に拘置していた予備隊主力を、夜間に戦略機動させて迂回させたとみられる。
迂回部隊主力は、ロシア軍が訓練水準の低い部隊を展開し手薄だったハリコフ(ハリキウ)市南部正面に投入された。9月7日頃から開始された攻勢により奇襲されたロシア軍は一時壊乱状態になり、一部の重装備などを遺したまま後退した。
ウクライナ軍のハリコフ市南部から突進した部隊は、ロシア軍占領地域後方50キロ以上まで一気に突破することに成功し、さらにハリコフ州全域にも戦果は拡大され、9月10日にはほぼ全域の奪還に成功した。
その際に、先行し浸透した部隊がロシア軍の後方の各所にウクライナ軍の国旗を掲げて、ロシア軍側の士気を喪失させるという偽計も行われた。
9月11日には交通上の要域でありドンバス地域への玄関口ともいえるイジュームも奪還された。
ただし、9月20日時点では、ハリコフ州東部を流れるオスコル川の線でロシア軍は東岸に陣地を再編し、ウクライナ軍の東進は阻止されている。
イジューム以南へのウクライナ軍の攻勢も弱まり、ルハンスク州の一部を奪還したにとどまっている。
ただし、ロシア軍に多数の投降兵や捕虜が出たという情報はない。
ロシア軍は部隊としての組織力を維持しつつ後退している。ロシアにとりハリコフ州は、本来の戦争目的からみて必ずしも必要ではない。
今年9月21日のウラジーミル・プーチン大統領のテレビ演説でも、「今日私が話す相手は、(中略)我々の兄弟姉妹であるルガンスク人民共和国・ドネツク人民共和国・ザポリージャ州・ヘルソン州のほかネオナチ政権から解放された各地域の住民だ」(『NHK 国際ニュースナビ』2022年9月22日)と述べている。
すなわち、ロシアの戦争目的はロシア系住民が多く、ドネツク州の一部を除き既に占領している地域とほぼ重なる地域とクリミアの分離独立、さらにはロシア共和国への併合にあると言えよう。
その観点から言えば、ロシアにとりハリコフ州の占領は必須の目標ではない。
そうであるならば、ハリコフ州からは兵力を撤退させ現占領地域の占領確保のために集中運用した方が賢明との、戦争指導部中枢の判断のもとに組織的に行われたとみられる。
その意味ではロシア軍が敗北したとみるのは早計である。
ゼレンスキー大統領も警告しているが、ロシア軍のハリコフ州からの撤退は、次期攻勢のための兵力の再配備と再編のための、組織的な後退行動とみるのが妥当であろう。
組織的な後退行動とみられる証拠は、ロシア兵の遺棄死体、捕虜、遺棄装備が、一部の重装備の遺棄を除き報じられていない点に表れている。
逆に言えば、ウクライナ軍はハリコフ州という地域の奪還にはほぼ成功したものの、突破したロシア軍主力の捕捉撃滅という戦果は逸したことを意味している。
ちなみに、セベルドネツク一帯のウクライナ軍が包囲され降伏した際には、約1.5万人のウクライナ軍の捕虜が出たと、ロシア側は報じている。
他方、南西部の要衝であるバフムートでは、ロシア軍の攻勢が強まっている。
ロシア軍は西方に進撃を続け、ウクライナ側の補給線である鉄道・幹線道路に迫っている。同正面では9月初旬からロシア軍の第3軍団の集結、北上も伝えられており、ロシア軍による新たな攻勢が準備されている可能性もある。
また、一時砲撃が問題となったドニエプル川南岸のザポリージャ原発については、9月1日に国際原子力機関(IAEA)が入り、6日には調査報告書を公表し、同原発地域を「安全保護区域」として指定し、双方の軍事行動を止めさせた。
このザポリージャ原発についても、英国のMI6で訓練された特殊部隊約700人が9月1日にゴムボートでドニエプル川を夜間密かに渡河し、同原発周辺地域に潜入したと報じられている。
しかし9月20日現在もロシア軍が同原発を占領している。
なお、ロシア軍はザポリージャ原発の対岸の内陸部3カ所に対し、原発への砲撃をしている部隊を制圧するためと称し、砲爆撃を加えている。ウクライナ軍はロシア軍の自作自演だと主張し、双方の見解は対立している。
常識的に考えるならば、同原発を奪取するまではロシア軍が砲爆撃を加えたとみられるが、奪取してからはウクライナ軍が反撃し利用を妨害するために砲撃を加えたとみるべきであろう。
ロシア軍によるドニエプル川北岸の複数の目標に対する砲撃がそれを示唆している。IAEAの調査結果と併せ慎重な判断を要する問題である。
プーチン大統領は後述するように、9月21日の部分動員下令に関する演説の中で、ザポリージャ原発へのウクライナ軍の砲撃について言及し、「原子力の大災害が発生する危険がある」として非難している。
原発については、9月19日にもウクライナ南部原発にロシア軍が攻撃を加えたとされている。
ただし、この攻撃については、衛星画像によれば同原発の南方にあるウクライナ軍の油脂保管庫に命中しており、意図的にロシア側が原発を加えたとの見方は妥当ではないとみられる。
後述するように、ロシア側の重大な懸念の一つとして、ウクライナ軍の核能力保有がある。
この点は、開戦当日の演説でプーチン大統領が、「彼らは、核兵器を保有していると主張している」と述べていることでも明らかである。
この点から見れば、ロシア軍が開戦直後に、キーウ(キエフ)正面に主力を展開し、まず軍用炉として随時プルトニウム抽出が可能なチェルノブイリ原発を占領し、同正面からの撤退時に使用済み燃料棒を持ち去ったこと、南部ではザポリージャ原発を占領し続けていることの背後に、ウクライナの核保有潜在能力を奪いあるいは弱めようとするロシア側の一貫した企図が伺われる。
また今後予想される核軍拡競争において、ザポリージャ原発が供給する使用済み燃料棒から抽出されるプルトニウム生産能力はロシアにとっても、ウクライナを支援している米英仏にとっても、極めて重要な戦略的価値を持っている。
ザポリージャ原発はエネルギー戦争という観点からも極めて重要な価値を持っている。
同原発は、ソ連時代に建設された欧州最大の原発であり、全ウクライナの約半分の電力を供給してきた。
冬季を控え、ノルドストリーム1・2の天然ガス供給や石油高騰が欧州で問題になっているように、ウクライナ戦争はエネルギー戦争の様相を強めている。
ザポリージャ原発をいずれが占領するかは、核保有能力の争奪とエネルギー戦争の両面で極めて重要な戦略的価値を有している。
その重要性を認識し、米英仏の支援を受けてウクライナ側が奪還を試みる可能性は高く、南部での戦いの焦点の一つとなるであろう。