1.ハルキウ~イジューム正面8~9月の戦い
ウクライナの東部(イジューム~リシチャンスク~ドネツク)正面で、ロシア軍は、7月までは積極果敢に攻勢に出ていた。
8月に入り、リシチャンスクを基点として東部一帯の西側と南側とでは、戦況に変化が生じてきた。
リシチャンスクから西側のイジュームまではロシア軍の攻撃進展はなくなり、逆に小規模ではあるがウクライナ軍の領土の奪還が始まった。
この正面では、ロシア軍はもう攻勢から防勢に転移せざるを得なくなっていた。
リシチャンスクから南側のドネツクまでは、小規模ながら攻勢を継続しているが、この攻撃は欧米の研究所から無意味な攻撃だと評価されている。
9月に入り、ハルキウおよびイジューム正面の戦況が大きく変わった。
ウクライナ軍の攻勢は予想を超えて進展した。その推移は、以下(図1参照)のとおりである。
①9月6日、ウクライナ軍は、まずイジュームの南部を攻撃した。
②9月7日、ウクライナ軍は、ハルキウ方面から包囲攻撃(敵の正面から攻撃するのではなく、敵の側背から攻撃して退路の遮断を狙うもの)を行った。
③9月9日、ウクライナ軍は、ハルキウ正面から戦果を拡張し、ロシア軍が重要拠点としていたイジュームの背後に回り込んだ。
④9月10日、ウクライナ軍は戦果を拡張し、イジュームへの後方連絡線を遮断した。
⑤9月11日、ロシア軍イジューム守備部隊は、背後と後方連絡線に脅威を感じたために後方に逃走した。ウクライナ軍はイジュームとロシアとの国境線まで進出した。
ウクライナ軍は9月13日以降、攻撃を継続して部隊を前進させたが、南北に流れるオスキル川で一時停止した。渡河のための準備が必要だからだ。
とはいえ、軍の一部は渡河を成功させ、次のルハンスク州方面への攻勢の糸口を作った。
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図1 9月6日以降のハルキウからイジューム正面の戦い