8月30日、東西冷戦を終結に導いたゴルバチョフ元ソ連大統領が死去した。ソ連崩壊を招いたとしてロシア国内では批判もあるが、歴史に名を残す傑出したリーダーだった。閉塞感に包まれ、未来を見通すのが至難の現代。舵取りが難しいからこそ、リーダーの存在価値は高まる。リーダーに求められる資質とは何か、リーダーのあるべき姿や理想像はどういうものか。
(岡部 隆明:就職コンサルタント、元テレビ朝日人事部長)
ディズニーランドを楽しんだゴルバチョフ氏
私は30年前にゴルバチョフ氏を「取材」しました。1991年12月のソ連解体で国家元首の座を追われた翌年4月に来日し、東京ディズニーランドを訪問した際、テレビ朝日のニュース番組のスタッフだった私は、ハンディカメラで夫妻を追いました。
報道カメラマンは定位置で制限があったので、客として「自由に動ける別動隊のカメラマンになる」とのミッションです。騒然とした大勢の客に阻まれ難儀しましたが、一度だけ10mくらいの距離まで近づけて、当日の夕方のニュースで「独自」の映像を数秒間使ってもらいました。
ソ連の指導者が、退任後とはいえ、自由主義社会の象徴であるディズニーランドにいることに温かい感情が湧いたのを思い出します。私にとって、それまで抱いていたソ連のイメージを塗り替える鮮烈な出来事でした。ソ連と言えば「重厚な音楽」と、鉛のような重たいイメージが根付いていたからです。
「今朝からソ連のメディアは一斉に重厚な音楽を流しています。何か重大なことが起きた模様」
そんなニュースに、多感な年頃だった私は戦慄を覚えました。1982年から85年にかけてブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコとソ連の最高指導者が相次いで亡くなりました。死去を伝える前に「重厚な音楽」に切り替えられるのが恒例で、それを耳にしていないのに重苦しさと恐怖に襲われたものです。
ゴルバチョフ氏が政治の表舞台から去ったのは随分と早かったことに今さらながら気づきました。プーチン大統領と対比された評伝を読むにつけて、登場するのがもう少し遅かったら、どういう世界になったのだろう・・・、などと無駄な空想をしつつ、ゴルバチョフ氏のように「改革」を理念に掲げたリーダーは志半ばで挫折し、悲哀がつきまとうのが常なのかと、リーダーの皮肉な運命に嘆息しました。