1987年12月8日、ワシントンDCを訪れ、アメリカのレーガン大統領との首脳会談に臨むソ連のゴルバチョフ書記長(写真:AP/アフロ)

(舛添 要一:国際政治学者)

 8月30日、旧ソ連邦最後の最高指導者、ミハイル・ゴルバチョフ元大統領が、91歳で死去した。ソ連に自由の風を吹き込み、東西冷戦を終結させた功績は大きい。しかし、ソ連邦を解体に導き、ロシアを弱体化させたことには、ロシア国内では批判が強い。とりわけ、「ロシアの失われた領土と栄光」を回復すべく、ウクライナに侵攻したプーチン大統領の治政下の今日、否定的評価が高まっている。

ソ連型共産主義システムの破綻

 ゴルバチョフは、1985年3月、54歳の若さでソ連共産党書記長に就任した。当時のソ連経済は、全体主義計画経済が上手く行かず、破綻の危機に瀕していた。労働の現場では、人々はノルマを達成すればよいと考えて、生産性を上げるインセンティブを持っていなかった。

 重厚長大産業には長けていたが、コンピューターを駆使する軽薄短小産業の分野では、西側諸国に大きく遅れをとっていた。

 ゴルバチョフの最大の課題は低迷したソ連経済の活性化であり、急速に経済を発展させること、つまり「ウスカレーニエ(加速化)」をスローガンにしたのである。具体的には、新しい機械設備や先端技術を導入して、機械、化学、電気、電子工業を飛躍的に発展させることをうたい、また特に生産不振傾向の続いている石油と穀物については、全力をあげて生産性の向上に努めることを政策に掲げた。

 集団農場は失敗したが、それは肥料や農業機械や輸送網などの農業インフラが未整備だったからである。とくに、中央が指令する計画経済が現地の実情に合わず、それが生産不振を招いたのである。たとえば、トラクターの必要な所にそれがなく、あるのは肥料の山だったり、何百台ものトラックが野晒しで錆び付いている所には肥料がなかったりといった状況が各地でみられた。これでは農業の生産性が上がるはずはない。

 資源やエネルギー、そして先端技術の分野でソ連型社会主義システムの欠陥が露呈されてしまったのである。